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中島宏著『クリスト・レイ』第107話

 日本からやって来た移民の人々は、ようやくその辺りの現実を見据えて、気持ちの上でもそれに対応し、整理することが出来るようになってきた矢先、第2次世界大戦が勃発し、彼らを取り巻く状況はさらに思いがけない方向に進んでいくことになる。
 一方で、平田アヤのような隠れキリシタンの人々は、その大半が最初から永住を目的としてブラジルに来ているから、いずれ日本に帰るということは念頭になかった。
 だから、世界情勢が緊迫感を増し、世界大戦に突入しつつある現状も、彼らにとってはそれほどの深刻さを伴うものではなかった。もちろん、世界規模での戦争が始まっていくことについては、それなりの心配もあった。しかし、それは自分たちとは直接関係のない、いわば遠い世界でのことであることに変わりはなく、それが深刻なものになるという発想はなかった。
 この時点ではまだ、日本がこの大戦に参戦するというようなことは考えられず、いずれヨーロッパでの戦線が収まっていけば、それで解決していくだろうという楽観的な見方が大勢を占めていた。事実、アヤ自身もそれを信じていたし、そのように考えてもいた。
 ただ、そんなことよりも、彼女にとって痛手だったのは、日本語学校の閉鎖という問題であった。それが連邦政府からの指令であれば、これに背くことはできない。しかも、再開がいつのことになるのかの目途も一切ついていない。クリスト ・レイ教会に関しては無論、何の問題もなく、教会の日常の行事に支障を来たすことにはなっていないが、日本語学校については厳しい統制が布かれ、すべてが閉鎖された。
 もちろんそれは、日本語だけに限らず、ドイツ語、イタリア語などほとんどの外国語に対して取られた処置であった。ただ、フランス語と英語だけは、正規の外国語教育科目として認められていたから、これらは例外として扱われた。それでもこれは外国語を習得するという目的のためであり、ポルトガル語を無視して、それらの言語だけで教育するということは当然ながら認められなかった。
 大都市ではまだそれほどでもなかったが、地方ではこのことが予想以上の厳しさでコントロールされていった。このことは、都会よりも地方において外国人の集団が作られやすく、現実にその傾向が顕著になりつつあったという当時の現象が、その根拠としてあった。
 とにかく。アヤにとっては少なくとも、教師としての仕事は一時的にせよ、なくなってしまった。彼女の場合、教会関係の仕事は継続しているし、叔父の所の畑仕事も手伝っているから、失業したというほどの変化はない。しかし、彼女にしてみれば、それまで生活の中心になっていた日本語学校が消えてしまったことは、何かそこに大きな穴が開いたような感じで、妙な寂寥感を覚えていた。
 正直いって、このブラジルという国でこのような統制が採られること自体、今まで想像もしないことであった。世の中のことは、いつどこで急変して、思いがけないことになっていくか分からない。
 それを、アヤは、ある衝撃を受けつつ感じている。特に、ブラジルのように大らかでのどかな雰囲気を持つ国が、このように厳しい措置を採ること自体、何か信じられないような雰囲気がそこに漂っている感じでもある。