ピラール・ド・スル(以下ピラール)文協元会長の南満さんが1月12日早朝、持病のあった心臓の手術を受け数日後に容態が悪化して入院先のソロカバ市の病院で亡くなった。ピラール市のサンジョアン・バチスタ墓地で翌日、通夜と葬儀が家族によって行われ埋葬された。行年83歳。
南さんは1937年11月20日に福岡県で生まれ、東京農大拓殖学科卒業。1960年11月、22歳の時にオランダ船「テゲルベルグ号」で農業実習生として渡伯した。
実習先は、聖市近郊のビッコ・デ・ジャラグア山麓の土地に住んでいた同県出身の「国武」というエメボイ実習生出身の日本人の農地。卒業式にも出席せず、そのまま国武氏の下で10年働く。1969年に東山植民地に入植した。
1980年から6年間ピラール文協の学務理事を務めたのを皮切りに、1983年、聖南西地区の日本語学校教師の会である「聖南西教育研究会」の発足にも関わった。
それ以降、学務理事や文協会長、2017年から現在まで校長として長年ピラール文協および日本語教育に関わり続け、その発展に多大なる貢献をした。それらの功績が認められ、11年にブラジル日本語センター教育功労賞を受賞した。
聖南西地区の文協の集まりである「聖南西文化体育連合」でも、長年副会長(21年も)として地区日系社会の活動・融和に大きく貢献していた。