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中島宏著『クリスト・レイ』第118話

 総合的に見ればしかし、このゴンザーガ区での農業は、何とか生計を立てていく程度の収入を確保することはできた。が、それ以上のものには、なかなかなり得なかった。それは、ひとつにはこの地区での平均した耕地面積が十分な広さを持たず、効率が悪かったことと、販売ルートが確立されていなかったために、思うような値段では作物が売れなかったことによるものであった。
 開拓初期の困難さはすでになくなっていたが、それでもこの地での農業が完全に安定して、持続した収益が上がるという理想的な形にはまだまだほど遠かった。
 アヤが説明したように、このゴンザーガ区の人々は、ほとんど全部が永住を目的としていたので、世間の動きが不穏な空気に包まれるようになっても、動揺するということにはならなかった。短期間に資金を稼いで日本に帰るという発想はもともとなかったから、農業の成績が思ったように上がらなくても、それによって急がなければならないという焦燥感のようなものは生まれてこなかった。いずれそのうちに、何とかなるだろうと考えつつ、彼らは現在ではなく、もっと先の時代に思いを馳せていた。
 もちろんそこには、間違いなく成功するという保証は何もなかったが、いつかはこの大地で、自分たちの蒔いた種が実を結ぶだろうと信じていた。その辺りが、いわゆる出稼ぎを目的とした人たちとは、違った形の思考を持っていたといえる。
 それらの隠れキリシタンの人々がまったく祖国を振り返ることなく、このブラジルという大地で終生、生き続けていくという動機はどこから生まれてくるものなのか。
 その辺りのことになると、表面的なものからだけではなかなか見えてこない。
 果たして、そういう考えが彼らの本心なのか、あるいはそれは、単に表向きの形のものに過ぎず、実際にはもっと他の理由があるのか。アヤの話ではひどく単純明快なもので、一つの信念を持つことによって、そこには何の迷いも、思考のブレもなさそうに見えるのだが、本当にそのようなことが可能なのかどうか。
 信仰の力は、それほど強いものなのかどうか。

 マルコスにとって、この問題は非常に興味のあるものだが、アヤに対してそこまで踏み込んだ話をすることに、ある種のためらいがあった。それは、彼自身が信仰というものをこれまで正面から考えることをしなかったこともあって、明快な答えを持っていないということにも繋がっていた。要するにそこには、どちらかというと宗教心の希薄な者が、信心深い者に対してどのようなアプローチをしたらいいのか、その道筋が見えてこないというような雰囲気があった。
 が、しかし、アヤとの交際が深まっていくにつれて、マルコスはそこを理解したいという衝動にかられていった。これが、ただの軽い付き合い程度であれば、そこまでの議論には届かないし、そのような必要性もまったくないのだが、幸か不幸か、マルコスとアヤの交際は、いつの間にかもっと奥深い、真剣味を伴うものになっていたから、どうしてもそこを越えなければならないという所まで来ていた。
 少なくともマルコスは、ややオーバーにいってしまえば、切羽詰ったという感じさえ持つようになった。
 それは何の為なんだ。アヤの信念の内側を覗き込んで、そこからお前は何を引き出そうとしているのか。そこに、お前にとってはどんな意味があるというのだ。
 マルコスはそう自問自答するのだが、それに対する明快な答えはない。答えはないものの、そこから引き返してしまおうという考えもない。なぜだか分からないが、彼は、その壁を越えなければ、そのことを一生悔いることになるのではないかというふうに考えている。躊躇しつつ、迷いつつ、彼はアヤとの込み入った議論にあえて挑戦していく。

 この頃から、二人の会話はポルトガル語に変わった。
 外国人への風当たりが強くなりつつあったことと、日本語学校が閉鎖され、外国語の使用に対する規制も行われるといううわさも流れ始めるに及んで、二人はどちらともなく日本語で話すのを控え、会話は自然な形でポルトガル語へ移っていった。