「創始者」と「最初の追随者」の役割を再認識
「これは日本語教育界だけでなく、日系社会全体で共有すべき考え方だ」――2月27日にオンライン開催された「南米全伯日本語教育会議‐本会議」での水上(みずかみ)貴雄さん(海外日系人協会 業務部長)の講義「NIKKEI日本語学校のビジョンについて考える」を聞きながら、そう感じた。ブラジル日本語センターが主催、JICAブラジル事務所が後援。
昨年末に開催されたプレ会議に続く、本会議の位置づけになる。プレ会議の詳細は《記者コラム》「日本語勉強すれば幸せになれる」多文化論(https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/201222-column.html)で記した。
今回の講義の中で、米国の起業家デレク・シヴァース氏がTED(世界各国の知識人の講演動画を配信する米国の非営利団体)のプレゼン「社会運動はどうやって起こすか」(https://www.ted.com/talks/derek_sivers_how_to_start_a_movement?language=ja)で使った、有名な映像が紹介されていた。
ある米国の野外音楽祭の観客席で、気持ちよさそうに上半身裸でおどけて踊っているひとりの男性に、だんだんと人が追随していき、次第に群衆の踊りとなって盛り上がっていくという、3分間の映像だ。
最初はただの「変わり者、バカ」だと思われていた男性が、最初の追随者が現れたことで「リーダー」となり、追随者に簡単明瞭な踊りのコツを伝えた。追随者がそれを受け取って楽しむ姿をみて、次々に参加者が増えて、たった3分の間に何十人もの若者が音楽に合わせて同じように踊り始めた。
最初の男性だけなら「ただのバカ踊り」で終わったかもしれない。だが、最初のフォロアー(追随者)が現れたことで誘い水になった。彼に楽しさが伝わったことで、フォロアーが次々に友人を呼び込み、そこから関係のない人がどんどん加わり、社会運動(ムーブメント)に変質した。その現象が社会運動の起こり方を端的に表しているとし、「最初の一人ばかりに目が行きがちだが、本当は一人目の追随者の存在こそが重要」とシヴァース氏は力説した。
これを見ながら、「ブラジル移民史に当てはめるなら、たった一人で裸踊りを始めた男性『バカ』は水野龍で、最初の追随者は『上塚周平』だ」と感慨深く思った。
「明治時代に地球の反対側にある、見たこともない国に大量の移民を送り出す」という誰もが不可能だと思っていたブラジル移住事業を始め、親族の反対を押し切って家財をなげうち、1908年、第1回移民船「笠戸丸」を運行させた皇国殖民会社の役員・水野龍。
その水野に雇われて、最初のブラジル現地代理人となって送り込まれたのが上塚周平だ。実行力の塊だが変わり者だった水野と違って、周平は人格者として移民たちから敬愛され、彼らの不満を聞き、共に苦しんで、1918年に上塚植民地を建設し、日本人永住の道を切り開いていった。
その小さな流れがだんだん大きくなり、結果的に、戦前戦後合わせて25万人もの日本人がブラジルに移住し、現在の200万人の日系社会が生まれた。世界で350万人といわれる日系人の半分以上がブラジルに住んでいる。
たった一人の男が狂ったように「ブラジル踊り」を始めたことが、現在の日系社会を作り上げた。たしかにケモノ道を切り開いたのは水野龍の功績だ。だが、そのケモノ道を広げて舗装し、高速道路のように整えたのは、初期の追随者たちであり、その功績は同じように大きい。
共振するメトロノームと日本祭りの関係
水上さんの講演で紹介された別の映像も、興味深かった。
東京理科大学の池口研究室のよる実験映像(https://www.youtube.com/watch?v=suxu1bmPm2g&ab_channel=IkeguchiLab)で、四隅を吊した板の上に置いた100台のメトロノームをそれぞれに動かしはじめると、最初はバラバラに時を刻んでいるのに、だんだんと台の揺れに合わせて同期を始め、1分半ぐらいで全てが共振を始め、同じタイミングで音を刻み始める動画だ。
これを見て、コラム子はサンパウロ市で毎年開催される「県連日本祭りだ!」と感じた。あの会場にいる間の高揚感と、会場を去るときの後ろ髪を引かれるような感動を思い出したからだ。
県連日本祭りでは、常時数万人の日本文化愛好者が会場にいて、それぞれが自分の好きなブースで楽しい時間を過ごしている。3日間では20万人前後が訪れる。日本以外で開催される日本文化イベントとしては世界最大規模だ。
あの会場にいる間の特別の高揚感は、台にのったメトロノームの一つになった気分だ。県連が中心になって日本祭りという「台」を整え、ほぼ全ての県人会が参加してメトロノームを刻み始めると、後から参加した来場者もだんだんと同じ高揚感(日本文化を愛する気持ち)を共有していくようになる。
同じ場を共有し、独特の雰囲気を味わうことで、気持ちの何かが一致する感じがする。大型イベントというのは、コミュニティのメトロノームの針を整えるような役割があるのではないだろうか。
昨年はその県連日本祭りが、パンデミックのために開催されなかった。今年も危ぶまれている。県連のそれだけでなく、ブラジル中でおそらく30カ所ほどで開催されている日本祭りも中止・延期された。
県連日本祭りが1998年に移民90周年で開始されてから、それが最初のメトロノームとなって、ブラジル各地の日本祭りに派生し「同じ刻」を刻むようになっていたのに、パンデミックにより一瞬にして完全停止してしまった。
日系社会にとっては大きな痛手だ。再びメトロノームが動き始めても、以前のように完全に同期するまでにはしばらく時間がかかるだろう。
組織の目的や役割を改めて考え直す
水上さんの講演のハイライトは、VMOS(ブイモス)分析を日本語学校に適用する部分だった。これは通常、企業などの事業体の活動を分析するときに使われるマーケティング手法だ。
例えば、ある企業や組織の活動内容は、最終目的とするテーマが、末端の活動まで浸透しているのが理想的だ。
だが現実は、目的に対してさして重要でない活動にも人員や費用が割かれていたり、なにが最終目標かという部分が知られていなかったりする。
そんな時、一貫したビジョン・戦略に基づいてその組織の活動が行われているかを分析する枠組みがVMOSだ。
【1】Vison:ビジョン
【2】Mission:ミッション
【3】Objective:重点目標
【4】Strategy:戦略
【5】Tactics:戦術
【6】Foundation:基本方針、哲学、信条
1~4の頭文字をとってVMOSという。その組織の活動が、しっかりと一貫性・整合性を持っているかを段階ごとにチェックする。日本語学校の場合、一般的にはどんな風になりそうかを、以下想像してみた。
【1】ビジョン(組織の活動を通して、最終的に実現したい世界観)=日本文化の普及によってブラジルの多文化主義国家建設に貢献する
【2】ミッション(ビジョンを達成するために何をするか、ビジョンを達成するためにその組織が担う使命)=日本語教育を通して、ブラジル国の発展を担ったり、国際的に活躍できる多文化人材を育成する
【3】重点目標(使命を達成するための数値目標)=3年以内に生徒数を5倍にする
【4】戦略(目標を達成するための大まかな方向性や計画)=非日系人も惹き付けるような授業内容を増やし、広報活動を活発化させる
【5】戦術(戦略を実行するための具体策)=ポルトガル語の日本語学校ホームページを作り、3年以内にアクセスを1万PV/日、SNSのフォロアーを1万人に増やし、それを使って生徒募集を展開する
【6】基本方針(活動の足元を固める哲学や信条)=日本文化のすばらしさを広くブラジル社会と共有する
という感じか。コラム子は日本語教育に詳しくないので、的外れな部分もあるかもしれない。
このような【1】~【6】を使って、将来のあるべき方向性を関係者で共有することで、同じ方向に向かって皆が精神統一できることは、すばらしいことだ。
まさにメトロノームの共振を早めるような効果がありそうだ。これは日本語学校だけでなく、県人会や日系団体でもやってほしいことだ。
もしも、ブラジル日本文化福祉協会が「日系社会全体のVMOS」を作って広く公開してくれたら、それをベースにして自分の団体のVMOSを考えることで、日系社会全体が統一されたVMOSになる。
水上さんは「言霊」という言葉を出し、《言葉にはそれ自体に魂、パワーがある。だからビジョンを繰り返し口に出して皆と共有することで、実現する可能性が高まる》と呼びかけた。
皆が同じビジョンを持った時が、メトロノームの針が一致して共振している状態なのだろう。
ペルーやボリビアの一例
この会議には、ブラジルの日本語教師を中心に、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ペルーからも約80人が参加した。
講義のあと4人ずつに分かれた分科会となり、コラム子が加わったグループには、ボリビアのサンファン学園の本多由美主任、ペルー日系協会の日本語普及部コーディネーターのタカヤマ・アントニオさん、聖市でビジネス日本語を教える村信政幸さんという多彩なメンバーだった。
驚くことにペルー日系人協会の日本語学校ではパンデミック後もほとんど生徒が減っていないという。「昨年10月時点では、元々500人余りいたのが450人ぐらいになったと聞いています。生徒の大半は非日系人で、10代から20代が多い。日系人は1割程度でしょうか」とのこと。全部オンラインで授業をしているため「教師の負担が大変」とも。
同校では最初から非日系人が多いため、ビジョンが「ペルーと日本の懸け橋人材育成」「世界で活躍できる人材育成」などと高い理念が掲げられており、そこからVMOSを徐々に具体化していくという発想になっていた。なお、同校は創立93年にもなるという超伝統校だ。
サンファン学園の本田さんによれば、サンファン移住地の中にある私立日系校の中の日本語コースとなっているという。パンデミックで生徒数が減って300人ほどになっており、生徒の大半は非日系人、日系は3割程度。幼稚園から中学生まで。すでに対面授業形式にもどっており、50%の生徒ずつ登校。
平時の時は掃除も生徒が手分けして行い、お弁当持参、盆踊り、運動会など日本的な慣習や文化を取り入れて、日本語だけでなく、学校生活を通して日本文化を体感できるように工夫されているという。
サンファンは来年、移住地創立65周年を迎える。大事な節目の時だけに、「パンデミックでどうなるか心配です」と嘆いていた。
パンデミックの時代ゆえ、オンラインで国境の壁が簡単に越えられるものだと感心した。
コロナ後のスタートダッシュのために
ブラジル日本移民百周年、110周年と勢いを上げて活動をしてきた日系社会が、コロナ禍によって宙に浮いたまま、凍り付いたように活動を停止した。
パンデミックが終わった後、ブラジル日系社会がどうなっているのか、誰にも分らない。相当痛めつけられ、大変質することは間違いない。
日系社会にとって、日本との絆を保つ意味で、日本語教育はとても重要だ。主催者のブラジル日本語センター、日下野良武理事長は「コロナ禍の今だからこそ、日本語教育の原点を見直し、その価値を分かち合う目的で、この会議は開催されました。多くの方に興味を持って参加してもらえて嬉しい。責任を感じる。南米全体につながっていけるよう、これからも継続していきたい」と意気込んでいた。
パンデミックの間に各日本語学校、日系団体が自分のVMOSをじっくりと考え直して、パンデミックが終わったら、すぐにイベントを再開してメトロノームが共振するように、その理念がコミュニティ全体に浸透するようにできたら理想的かもしれない。
思えば、水野龍は通常「伯剌西爾」と書かれるブラジルの漢字表記を、「舞楽而留」(楽しく踊って、留まる)と書き慣わした。「最初に踊り始めた男」にふさわしい表記だった。(深)