ホーム | 日系社会ニュース | のうそん誌半世紀の歴史に幕=終刊時でも読者800人

のうそん誌半世紀の歴史に幕=終刊時でも読者800人

2017年ブラジル力行会館のイベントで挨拶する永田久主宰(学校法人力行会総務部長の田中直樹氏提供)

2017年ブラジル力行会館のイベントで挨拶する永田久主宰(学校法人力行会総務部長の田中直樹氏提供)

 農村に住む人ために発刊された「のうそん」(日伯農村文化振興会発行、責任者=永田久)が、289号(2018年7月)を最後に終刊となり約50年の歴史に幕を下ろしていた。電話取材に応じた永田美知子さん(88、栃木県)は「最後のほうは読者は800人くらい」と振り返った。


 美知子さんは「主人も私も高齢で仕事がうまくいかなくなってきた」と説明する。同刊は責任者の永田久さん(90歳、長野県)と妻の美知子さん2人で編集から製本までの発刊作業を全てを行ってきた。
 終刊時でも読者は800人おり、1千部を2人で製本し続けてきた。創刊当初は日伯毎日新聞で刷っていたが、久さんが印刷機を買い、製本機を手製し、印刷や製本も自分で行ってきた。
 「サンパウロやパラナの日本人が多い所へ、自分で運転してフォルクスワーゲンバンで回ったりしてね」と美知子さんは昔を懐かしむ。10年ほどかけて日系人宅5千戸を訪問した事もあり、過去には最大で4500人もの契約購読者がいた。

「のうそん」バックナンバー

「のうそん」バックナンバー

 「農村に住む人のために」との想いで名づけられた「のうそん」。1969年に同氏がアリアンサ移住地からグアルーリョス市に越してきたことを機に創刊した。
 久さんはもともと農村の青年指導を目的とした4Hクラブ(林茂男創立)で講師として「田舎でも勉強が出来るように」との活動に尽力しており、地方の移住地を渡り歩くうちに同誌創刊を思いついた。
 創刊後も新規購読者獲得を兼ねて「娯楽が少ない田舎のために」と各地を巡って映画上映も行っており、「当時コロニアにいいフィルムがなくて日本から年3本くらい取り寄せていました」と美知子さんは当時を振り返る。
 「農村のために」と始った「のうそん」も次第に農村から都市に移り住む人が増え、読者の生活様式にあわせた「生活に役立つ記事」を掲載してきた。終刊の頃には「都市部の人が読者の中心となっていましたねぇ」と変遷を語る。
 久さん、美知子さんの高齢により終刊に至った同誌。2人のみで発刊作業を続けていただけに後継者もいなかった。「いたらよかったですが、二世になるとやはりポルトガル語が中心。これからもっと読む人が少なくなるんじゃないかしら」と寂しそうに述べた。