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【特別企画】新来シリア移民が見たサンパウロ=日本人と何が違って何が同じ?《1》

東北大震災で津波が直撃した直後の様子

東北大震災で津波が直撃した直後の様子

ちょうど10年前、日本では東日本大震災、シリアには内戦が起きた

 2011年3月11日に発生した東北大震災から今年で10年。2月にも震度6強の余震が発生したとのニュースが流れ、日本は地震の脅威から逃れられない宿命にあることを改めて思い知らされる。
 所変わって、東日本大震災の発生から4日後の3月15日、中東では今世紀最大の人道危機といわれるシリア戦争が始まった。その後、世界では大量のシリア難民のニュースが注目されていた時期に、日本は震災からの復興と原子力発電所の問題が国内の最重要課題となり、もとより中東はどこか遠い世界のようで、シリアはあまり注目されてこなかった。
 「爆撃はかなり収まったとはいえ、郷里のアレッポの復興はなかなか進まず、通貨価値は世界の底辺まで下落した状態です。今も国内に残された人々や周辺国に難民となった人々も、満足な食事ができず、病気が日常的で、劣悪な環境で生活している人たちがいます」と話すのは、サンパウロ在住のシリア国アレッポ出身のアブドゥルバセット・ジャロールさん(30)。

爆撃を受け、国連の救援物資を待つ人々(2014年2月17日、シリア国首都ダマスカス市ヤルムーク地区、Foto: UNRWA)

爆撃を受け、国連の救援物資を待つ人々(2014年2月17日、シリア国首都ダマスカス市ヤルムーク地区、Foto: UNRWA)

 2014年2月にサンパウロに来て数カ月後には難民認定された。同様にサンパウロで難民となったダマスカス出身のモハマド・アルサヘブさん(40)は、「今もダマスカスではまともな賃金が得られず、良い食事もできず、若者には希望が持てません。市内では道路に検問が設置され、それぞれがイラン軍やロシア軍などに管轄されています。検問を通過するためには身分証を見せる必要があり、目的地へ到着するのにも30分で行けた場所が2時間かかるような状況です」と説明する。
 両者とも昨年にブラジルに帰化した。ビザなしで旅行できる国が世界最多の日本のパスポートとは異なり、シリア出身者にとっては、国際的な信用の低下したシリアのパスポートよりも、ブラジルのパスポートの方が、国を超えて生き延びるためには有効な身分証となる。
 国連難民高等弁務官事務所の発表によると、2018年には約670万人のシリア人が国外に避難している。ブラジルにも2014年から2016年にかけて約3千人のシリア人が難民認定され、昨年ごろからブラジルに帰化する人も増加した。

【サンパウロの風景】

【サンパウロの風景】

この特別企画の趣旨

 日本からの移住者は70年代にほぼ途絶え、高齢化の進むブラジルの日系社会。今も昔も日本人移民は日本とブラジルの違いを肌で感じながら生活してきた。
 一方、世界各国への離散を余儀なくされ、サンパウロでも身近になったシリアからの新来移民。彼らの生の声を聞く機会は少ないが、シリア人と日本人の移住者では、起源の土地の文化や習慣が異なるため、最初からブラジルで見て感じることが異なっているのではないかと思い、今回の特別企画を実施することになった。
 ブラジルでのアラブ人移民の歴史は、実は日本人移民より古い。アラブ移民のもたらした文化やその子孫の存在によって、ブラジルは日本よりもレバノンやシリアといった国名にもなじみが深い。
 かつて日本人移民は、商習慣の違いから先発のアラブ人移民に商売では泣かされたというエピソードも伝えられる。それでも、今では両者の子孫が結婚したというのはごくありふれた時代となっている。
 新来シリア移民2人にシリアでの日常を振り返ってもらい、彼らと日本人の感じるブラジルは何が違って何が同じかを次回から浮き彫りにする。当企画によって、今も世界各地で困難な状況にあるシリア出身の人々に、少しでも関心と親しみを持っていただければ幸いである。(つづく、大浦智子寄稿)