3月8日(月)、最高裁のエジソン・ファキン判事がルーラ裁判を全て無効にする判決を出し、ブラジル政界に大激震が走った。ルーラに有罪判決を下していた全ての裁判が無効化されたことで、彼が来年の大統領選挙に出られることになったからだ。
ファキン判事の完全な独断で、ボルソナロには寝耳に水、ルーラ本人すらも予期していなかったと報道されている。
ブラジルの大統領選では三つ巴の戦いはほぼない。1対1の熾烈な戦いが基本だ。つまりボルソナロの対戦相手がルーラになったことで、再び2018年のような両極化した激しい選挙戦になることが想像される。
奇しくもファッキン判決の前日、7日(日)のエスタード紙には、来年の大統領選挙に向けた10大候補の支持率調査が発表されていた。そこで「投票する可能性がある候補」の栄えある1位はルーラ(50%)で、ボルソナロは2位(38%)だった。
3位はセルジオ・モロ(31%)、4位はルシアノ・フッキ(28%)、5位はフェルナンド・ハダジ(27%)と続いていた。
ここで注目されるのは、ドリアの支持率の低さだ。8位(15%)と低迷した。コロナ・ワクチン対策で有能ぶりを見せつけて事実上の選挙戦に近い体制で連日マスコミに出ているにも関わらず、だ。
これだけの政治的成果を見せているにも関わらず、人気がでないのは政治家として致命的だ。
しかもドリアの拒絶率が57%と異様に高い。拒絶率1位はマリナ・シルバ(59%)だが、2位が同率57%でドリア、ルシアノ・フッキ、3位がボルソナロ(56%)となっている。
大統領を最終目標とするドリアにとっては相当厳しい現実を突きつけられたことになる。それを受け13日付エスタード紙は、ドリアは来年の全国統一選挙では大統領選ではなく、州知事再選に出馬する可能性を初めて示したと報じた。
つまり、7日に依然としてルーラ支持率が高いことが報じられた直後の8日、ファキン判事はルーラ裁判を無効化して選挙に出られるようにした。「大本命のルーラが出るなら、もう自分には出番はない」とドリアが弱気になって身をひきそうになっている―という流れだ。
「最高裁は和平をもたらすもの」として判断?
このルーラ裁判無効化のニュースを聞いたとき、最高裁は「毒を持って毒を制す」作戦に出たなとの印象を持った。
ブラジルの最高裁には、元来「和平をもたらすもの(Pacificador)」との根本的な役割があり、3権の中で対立が生じた際に融和につながるような何かをする意識がある。
ボルソナロ大統領は就任以来、着々と権力基盤を固めてきた。特に今年に入ってからは自分が罷免されないための防御布陣を鉄壁にした。
2年前、就任直後にまずやったのは、クーデターを起こして自分を倒す可能性のある軍を味方につけ、自分を刑事告訴できる唯一の役職である連邦検察庁長官を子飼いにすることだ。続いて法相や連邦警察長官を同様に抱き込み、捜査の面から自分が有罪化されるリスクを極力下げてきた。
政治的には、昨年来セントロンに近づいて両院との関係を良好にして最高裁にその意を汲む判事を送り込み、議員割当金をばらまいて2月1日にセントロンから両院議長を出すことに成功した。
特に大統領罷免申請を受け入れる権限を持つ下院議長を抑えることは、大統領にとって何よりも優先する課題だった。
その上でこの10日、万が一にもセントロンが造反して罷免申請が下院で受け入れられた際、最初に審議される場所である憲政委員会(CCJ)にも手を打った。CCJ委員長に、ボルソナロ大統領支持派の中でも最も忠実な存在と目されているビア・キシス下議(社会自由党・PSL)を選出させたのだ。ここで罷免申請が承認されないと、その先には絶対にいかない。
この時点で、いくら国民やマスコミが騒ごうが、罷免される確率はほぼゼロになった。日本のような議院内閣制では首相の支持率が下がると問題にされる。だが権限が圧倒的に強い大統領制の場合、国民からの支持が10%を割っても政権維持に何ら問題がない。
ただし、来年の統一国政選挙をにらんだ場合、支持率が低すぎると問題が出てくる。連立与党の政治家はより人気のある大統領候補を物色することになる。大統領候補が持つ人気の波に乗っかって、自分の得票を増やして当選を確実にしたいからだ。
コロナ対策失敗などが響いて、ボルソナロの支持率が来年半ばの時点で一桁になっていたら、大統領ライバル候補に注目が集まる。強力なライバル候補がいれば、セントロンとしては「沈没する船から逃げ出すネズミ」よろしく乗り移るだろう。
今までは強力なライバル候補がいなかったが、ファキン判事の判断によって亡霊のようにルーラが登場した。誰が見ても「最強のライバル」だ。
ボルソナロがあまりにも政権基盤を固めて、権威主義的、専政政治的になり始めた様子をみて、「和平をもたらすもの」たる最高裁としては、「民主的に権力集中を崩すには、強力なライバルを登場させるしかない」と判断したのかと最初は思った。
ジルマール・メンデス判事VSファキン判事
ファキン判事のルーラ裁判無効化判断に関して、事実として押えておきたいのは「ルーラ無罪」判断ではないことだ。ルーラに有罪判決を下した「パラナ州連邦裁判所とパラナ州連邦警察は、ペトロブラスの裁判を担当するのが適当ではないからブラジリアに移す」という判断だ。
ペトロブラス本社があるのはリオであり、ラヴァ・ジャット捜査で主な標的とされているのはブラジリア政界や企業家たちの汚職であり、ほぼ何の関係もないパラナ州がこの裁判を担当するのは適当ではないというルーラ弁護側が2、3年前から申し立てていた内容を、今になって突然ファキン判事が認める判断をした。これが、今回起きたことだ。
主な被告である政治家の本拠地であるブラジリアの裁判所が裁くのが適当という判断を下した結果、パラナ州連邦裁判所で今まで下されていたルーラ裁判の判決の数々が無効化された。
「今までの裁判が無効化」されただけで、容疑が無効化されたわけではない。ルーラは依然としてラヴァ・ジャット作戦の捜査対象だ。ブラジリアの裁判所では今後、今までの裁判内容が有効か、やり直すかどうかを判断する。裁判をやり直した場合、そこでルーラが再び有罪となる可能性がある。
このような「モロVSルーラ」という話が8日の段階だ
だが翌9日、最高裁第2小法廷では別の戦いが始まった。モロ判事が下したルーラ裁判の一つ、グアルジャ三層マンション汚職事件の有罪判決に関して、モロ判事の裁判官としての「嫌疑(suspeição)」(犯罪の事実があるかどうかの疑い)を問うものだ。いわば、「ジルマール・メンデス判事VSファキン判事」の戦いだ。
これはラヴァ・ジャット作戦(LJ作戦)においてモロ判事は中立であるべき「裁判官」の職分を越えて、検察局の作戦を指揮してルーラ有罪を前提とした捜査に仕立て上げていた疑いに関する裁判だ。メンデス判事が主役となって裁判を進めている。
ファキン判事は「LJ作戦擁護派」で知られ、対するメンデス判事は「LJ作戦はやり過ぎだった派」で知られる。共に汚職撲滅という原則こそ持っているが、捜査・裁判手法を巡って強烈な対立を演じ、最高裁を二分している。
9日、メンデス判事は、モロ判事が名を挙げたとされる「バネスタード汚職裁判」時における裁判手法を批判するところから始まり、ヴァザ・ジャット(VJ醜聞)で明らかになったパラナ州連邦検察庁LJ特捜班とモロ判事の癒着関係に関して徹底的に批判した。本来、犯罪を立証するのは検察の役目で、モロのような裁判官は被告(犯罪者)と検察の間に立って、中立的な判断を下さなければならない。
だがVJ醜聞で見えてきたのは、捜査方針を指示するモロの姿であり、裁判官の職分を逸脱しており、「LJ作戦のあり方は犯罪的である」というのがメンデス判事の意見だ。9日には「犯罪によって犯罪を撲滅してはいけない」という言い方までした。
LJ作戦では「司法命令(Condução coercitiva)」が多用されたことに、メンデス判事の批判が集中した。この司法命令によって、証人や告発された当事者らを、本人の希望に反して強制的に連邦警察に連れてきて証言を取った。元大統領クラスの大物政治家や企業トップを含め、司法命令の名の下に、身柄を拘束して連邦警察に一端連れてきて、そこで取り調べや証言を取ったのだ。
実際には「事情聴取」「取り調べ」的なものであっても、一般国民からすれば「連邦警察にXXが連行された」というと「逮捕もどき」のイメージを持ちやすい。政治家にとってはダメージが大きい。LJ作戦においては、捜査側とマスコミが結託したかのような形でこれが多発し、世論に大きな影響を与えた。
一部の法律家によれば、このような司法命令の執行のされ方は、「予防的投獄」の一形態であり、個人の移動の自由の制限しているので違憲性があると主張している。予防的投獄は通常、常習犯や触法精神障害者などによる犯罪などを予防するために拘禁するという刑事司法上の処分のことだ。それが大物政治家らに多用されたことで、弁護側は「乱用」だと訴えている。
そこから翻って考えるに、ファキン判事はメンデス判事が9日にこのようなモロ攻撃をすることを予想していた。だから、その前日の8日にモロへの打撃を軽減するために、ルーラ裁判無効化判断を突然発表した。
では、なぜルーラ裁判を無効化すれば、モロにとって有利なるのか。「モロはブラジル最大の嘘つき」として逆襲するための司法的な訴えを一番出しているのは、文句なしにルーラ弁護陣であり、ルーラ裁判が無効化されることによって、ルーラ有罪という事実がなくなるので、その訴えも自動消滅することになるからだ。
ファキン判事は、ルーラ裁判をパラナ州からブラジリアに移行するという形で一端無効化し、LJ作戦を継続させ、モロを温存する策に出たのが真相のようだ。
「毒には毒を」ではなく「泥縄式」か
ただでさえLJ作戦は袋だたきに遭っている。ボルソナロ大統領によって、LJ作戦最大の武器であったCOAFは弱体化され、モロ氏を法相に引き上げてパラナ州LJ特捜班の“頭”を自ら差し出させ、VJ醜聞の傷口を広げる形ではしごを外して法相を辞任させ、ただの人にした。
連邦検察庁長官からの圧力でパラナ州LJ特捜班の“右腕”たるデルタン・ダラグノル検事をリーダーから辞めさせて弱体化し、その上で2月1日、LJ作戦の被告が下院議長に選出されたのと時を同じくして、連邦検察庁長官は「パラナ州検察局LJ特捜班解体」を宣言した。
さらに象徴的だったのは3月2日、最高裁第2小法廷が、下院議長をLJ作戦被告としていた「PP(進歩党)汚職団裁判」をお蔵入りさせる判決を下した。マスコミは「LJ作戦が最高裁でまた敗北」と大きく報じた。
その6日後にルーラ裁判無効化判断が下された訳だ。この文脈からすれば「毒を持って毒を制す」という高等戦術ではなく、泥縄式の「LJ作戦つぶしのダメージ軽減」でしかない。
ただし、連邦検察庁は12日、ルーラ裁判無効化判断に対する上告を行った。これでこの件は、最高裁大法廷で改めて審議されることになり、それ次第では「ルーラ裁判有効化」になる可能性もある。そうなれば、「大山鳴動してネズミ一匹」だ。ボルソナロは喜ぶだろう。
8日に独断した後、ファキン判事は同じくLJ擁護派のルイス・フックス最高裁長官には相談したと報じられている。大法廷での根回しが始まっているに違いない。
9日の「LJ作戦捜査手法がやり過ぎでは」裁判は、ファキン判事とカルメン・ルシア判事がモロ擁護、メンデス判事とレヴァンドウスキ判事が嫌疑承認の2対2になったところで、最後のヌネス・マルケス判事は、裁判書類を見る時間が足りなくてまだ判断できないとして、裁判を中断させた。再開日程は報じられていない。
ボルソナロ大統領が指名したマルケス判事は、メンデス寄りの判断を下すとみられており、ルシア判事も「判断を嫌疑承認に変えるかも」と漏らしており、そうなると1対4でモロ氏への嫌疑が承認される可能性すらある。そうなれば、ボルソナロにとって、来年の大統領選挙のライバルが一人減る可能性がある。
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ブラジルのコロナ死者は15日には約28万人になった。1月は「マナウスで医療崩壊」と騒いでいたが、3月には「ブラジル全国でほぼ医療崩壊」となった。これが5月から「南米で医療崩壊」、7月には「ワクチン未接種の第三世界(世界の途上国)で医療崩壊」にならないことを祈るばかりだ。変異株の感染能力は高く、どんなに注意しても足りない。
正直言って、そんな世界を巻き込む可能性がある感染拡大の危機的局面において、「ルーラ出馬可能か」などの政治的な話題で盛り上がっているブラジルに呆れる部分がある。
本来なら、今回のような政治的ドタバタは一時置いておいて、「世界の脅威」にならないように国を挙げて、しっかりと感染対策に専念すべき時期のはずだ。
コロナ対策が不振のままでは、この国のカオス(混沌)は深まるばかり・・・。最高裁が本当に「和平をもたらすもの」であるならば、そう考えてほしい。(深)
(注=ここに書かれていることはコラム子の個人的な考察です)