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中島宏著『クリスト・レイ』第139話

 そして、そこではすべての人たちが貧しく、毎日の生活にも事欠くというほどの状況だったわ。それは、私の小さな頃からもそうだったし、大きくなってからも基本的にはその貧しさは変わらなかったわね。今では多少良くなったようだけど、それでも貧しさから脱却できたとはいえないようね。
 でも、そういう貧乏暮らしは、私にとっては生まれてからずっと続いていたものだから、それに対して別に不満などを持っていたわけではなかったわ。周りの人たちがすべて同じ状況だったから、そのことが当たり前のように考えていたわけね。どうしてこんなに貧乏なのかという発想さえ生まれてこなかったの。まあ、私たちの周辺だけがそうだったわけでなく、日本の地方はなべて貧乏だったということでしょうね。
 私の家だけでなく、近所の家々はすべてカトリック信者ばかりで、どこでもいつも熱心にお祈りをしていたわ。村には結構立派な教会があって、そこへはいつも日曜日になると村中の人たちが集まって、ミサを行ったり、いろいろな宗教活動が行われていたわね。
 物心ついたときから私もずっと教会に通っていたから、私にとってはそのことが生活の一部になっていたわ。だから、私にとってカトリック教会は、あそこでは今村教会といってたけど、ごく当たり前の存在だったし、それに対して何の疑問も持たなかったの。ずっと後になって、自分であちこちの地方へ足を伸ばすようになってから、その当たり前の風景が、実は日本の国では必ずしもそうではないということに気が付き始めたのね。むしろキリスト教というのは例外的な存在で、日本ではほんの一部の人々しか信仰していないということがだんだん分かってきたの。