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東京五輪=日本生まれの柔道ブラジル代表=エドアルド・ユージの挑戦=13日静岡へ「メダル持ち帰る」(上)

ユージ選手(本人提供)

ユージ選手(本人提供)

 「両親やお世話になった人、仲間の想いを背負って、なんとしても金メダルをブラジルに持って帰ります。ぜひ日系社会の皆さんも応援してください」――東京五輪柔道部門への出場を控えるエドアルド・ユージ・サントス(Eduardo Yudy Santos)さん(26歳・三世・2段)は、日本人のような日本語でそう意気込みを語った。いよいよ23日から始まる「東京オリンピック・パラリンピック」を前に、柔道部門にブラジル代表として出場する、日本生まれ・日本育ちの三世のエドアルド・ユージ・サントス選手を6月24日に取材した。


 同選手はサンパウロ市にある名門スポーツクラブ「ピニェイロス(Esporte Clube Pinheiros)」にプロ柔道選手として所属する。リオ・デ・ジャネイロ五輪テスト大会優勝やパンアメリカ柔道選手権大会優勝、世界軍人選手権大会優勝、パンアメリカン競技大会優勝などの輝かしい成績を持つ。6月13日にハンガリーで行われた国際柔道連盟(IJF)の「世界柔道チャンピオンシップ」では、東京五輪出場条件である世界ランキング18位入りを果たした。
 東京五輪柔道に出場するブラジル代表は13人。うち日系ブラジル人は4人出場。同クラブからは6人が出場する。
 ユージさんは同クラブで元五輪メダリストのチアゴ・カミーロ氏(Tiago Henrique de Oliveira Camilo)氏とレアンドロ・ギリェイロ(Leandro Marques guilheiro)氏の指導の下、東京五輪に向けて連日稽古に励んでいる。同氏は13日に日本入り、そのまま静岡で隔離と強化試合を行った後、27日に81キロ級として個人戦に、30日には90キロ級として団体戦の試合に挑む。
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試合時、相手に技をかけるユージさん(国際柔道連盟提供)

試合時、相手に技をかけるユージさん(国際柔道連盟提供)

 曽祖父母がブラジル移住し、祖母の故イナバ・マサコさん(二世、日本国籍)はブラジル人と結婚。その娘でユージさんの母レイラ・デ・ブリト・サントス(Leila de Brito Santos)さんは夫ジェレミアス・アントニオ・ドス・サントス(Jeremias Antônio dos Santos)さん(ブラジル人)と共に、日本に戻っていたマサコさんに会うために1992年頃に訪日した。
 マサコさんが当時住んでいたのは茨城県下妻市で、時あたかもデカセギブームの真っ最中。訪日をきっかけに二人は工場労働をすることに決め、そこで1994年にユージさんが生まれた。
 柔道は4歳から「下妻市スポーツ少年団」で始めた。当初は姉が柔道に興味をもったことに加えて、ユージ氏がわんぱくだったことから両親が道場に入会させたという。
 「子供のころは少しやんちゃだったので、両親に『人の痛みをわかりなさい』と言われて柔道を始めた。始めてみると相手の痛みを分かるよりも、勝つことのほうが楽しくてストレス発散になりましたけど…」と恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
 4歳から柔道を始めたユージさんだが、小学5年生から約2年間はサッカー部で活動していた。
 「当時サッカーが流行っていたので、自分もやっていました。成績はそんなに良くなかったですが…。そんな中学一年生の時に柔道部の顧問に『試合の人数が一人足りないから柔道経験のあるユージが出てくれないか?』と頼まれ出て、2試合中1試合で負けたんです。その負けが悔しくて悔しくて見返したいという思いから柔道を再開しました。復帰後は県大会に優勝、全国大会にも出場しました。素行が悪かったからか、あまり高校の推薦は来ませんでしたが…」と苦笑いを浮かべる。(続く、淀貴彦記者)