あまりに非常識なワクチン交渉の実態
7日以来、コロナ禍議会調査委員会(CPI)は一線を越え、緊張感は最高潮に達している。コバクシン不正契約をボルソナロ大統領が知っていたのに黙認していた疑惑が持ち上がっているのに加え、「軍部」というブラジル最大のタブーにも踏み込んだからだ。
1985年の民政移管の時ですら、軍政時代の出来事には恩赦が特別に定められ、軍による政治犯拷問ですら処罰されていない。今回は将官クラスまで不正疑惑がもたれていることから、CPIの成り行き次第で初めて多数の現役軍人や予備役将官が処罰される可能性があり、緊張感が高まっている。
☆
CPIで調査中のワクチン不正契約疑惑には、「アストラ・ゼネカ」問題と「コバクシン」問題の2種類がある。
まず「アストラ・ゼネカ」問題だが、本紙9日付《コロナ禍議員調査委員会で高まる緊張=証人に初の逮捕命令》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210709-11brasil.html)にあるように、オマール・アジスCPI委員長は7日、ワクチン契約交渉で賄賂を求めたとの疑惑のある保健省ロジスティック元局長のロベルト・ジアス氏に対し、「虚偽の証言を行った」として同CPI初の逮捕命令を出した。
このジアス氏はワクチン購入を巡る賄賂交渉の中心人物と疑われている。疑惑発覚と同時に局長を辞めさせられていることからは、政権側も半ば認めているようにすら見える。
本紙8日付《ワクチン交渉疑惑「大統領が全て買うと言った」CPIが携帯通話記録を公表》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210708-11brasil.html)にあるように、医薬品輸出入業者・米国ダヴァティ社のブラジル社営業部員ドミゲッティ氏がCPIの証言で暴露したのは、首都のショッピングのレストランで夕食をしながら交渉した際、「ジアス局長からワクチン1回分当たり1ドルの賄賂を要求された」という衝撃的な内容だった。
その際に賄賂請求された総額は、なんと20億レアル(約447億円)にもなる。本紙1日付《保健省局長がワクチンで447億円相当の賄賂要求?》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210701-11brasil.html)に詳報した。
7日のCPIでジアス元局長はこの疑惑を全面否定し、ドミゲッティ氏の携帯の通話内容と矛盾する証言ばかりするのを聞いて、アジス委員長の爆弾が破裂した。
「ジアス元局長と軍に何の関係があるのか」と思うかもしないが、彼はれっきとした空軍予備役軍曹(sargento)だ。パズエロ陸軍中将が保健大臣だった時に、同省の要職に抜擢された元軍人だ。パズエロ氏が保健大臣代行になって以来、保健省の主だった部署の責任者はみな軍部の人間に置きかえられた。その一人だ。
ドミゲッティ氏本人がダヴァティ社営業部員になったのは今年に入ってからで、現役のミナス州軍警伍長(cabo)だ。そもそも公務員が民間企業で営業をしていること自体、奇妙な話だ。加えて同社のブラジル支社は社員がたった3人で、年間売り上げが約26万ドル、ワクチン販売の実績なし、アストラ・ゼネカとの販売契約もない(https://www1.folha.uol.com.br/poder/2021/07/empresa-com-tres-funcionarios-propos-venda-de-vacinas-de-us-6-bi-ao-governo-bolsonaro.shtml)という呆れた状態だった。
そんな会社の軍警兼営業が、保健省幹部に簡単に会うことができ、すぐにレストランで夕食を共にしてワクチン交渉している事実は普通ではない。超強力な仲介者がいたからできたことであり、本来の秩序やビジネススタイルが捻じ曲げられている。
だいたい世界的に有名な医薬品メーカーのファイザーブラジル社長ですら、昨年3カ月間も保健省とのワクチン交渉をすっぽかされていた《コロナ禍CPI=政府は3カ月ワクチン交渉放置、拒絶=ファイザー南米支社長認める》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210515-11brasil.html)。まったく辻褄が合わない話だ。
にも関わらず、何のワクチン営業実績もないドミゲッティ氏が同局長と夕食できたのは、マルセロ・ビアンコ・ダ・コスタ元保健大臣補佐官という陸軍大佐がその席をお膳立てしたからだと報じられている。さらにドミゲッティ氏を、同省ナンバー2のエウシオ・フランコ保健省専務理事に紹介したのは、ヘルシオ・ブルーノ・デ・アルメイダ氏で、やはり陸軍大佐だ。ここが不正契約の鍵と見られている。
さらに、ドミンゲッティ氏が3月4日、非政府団体(NGO)「人権問題全国事務局(Senah)」の代表で福音派牧師のアミルトン・ゴメス・デ・パウラ氏と共に保健省に赴き、4億回分のアストラ・ゼネカのワクチン契約を行おうとした件にも、不正契約疑惑が持たれている。ワクチンとは何の関係もない民間NGOが、なぜ政府のワクチン購入の仲介を許されるのか不可解だ。
詳細は本紙6日付《福音派団体のワクチン契約発覚=保健省の局長が後押しも=連邦政府契約の数倍の額=ダヴァティ社の疑惑深まる》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210706-11brasil.html)。
そもそも連邦政府とアストラ・ゼネカ社とは、リオ市にある連邦最大のワクチン生産拠点「フィオ・クルス財団」を通して生産協定を結んでおり、安価に国内生産できる体制を整えている。完成品を輸入業者から大量に買う必要はまったくない。にも、関わらずこのような不正仲介契約が無理強いされる裏には、何があるのか。CPI委員ならずとも、省内の異常事態に警鐘を鳴らしたくなるだろう。
大統領を直撃した疑惑
もう一つのワクチン不正契約が「コバクシン」疑惑だ。こちらは本紙6月29日《コロナ禍CPIでミランダ兄弟が衝撃の証言=大統領に不正黙認の容疑?》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210629-11brasil.html)に詳報した。
2月25日に保健省とインドのバーラト・バイオテック社との間で、2千万回分のコバクシンの購入契約が、当初伝えられていた単価の数倍の価格(約16億レアル)で行われて以来、保健省ロジスティック局輸入部門主任のルイス・リカルド氏は一刻も早く輸入するために省上層部から「契約書にサインするよう強要されていた」ことを6月25日のCPIで証言した。不正契約の恐れがあると同主任は抵抗したが、上司などから〝異常な圧力〟を受けた。
たまたま同氏の兄弟が、大統領派のルイス・ミランダ下議(民主党・DEM)だったことから、「汚職撲滅を掲げて当選した大統領なら不正を許さないはず」と直訴を思いつき、3月20日に兄弟で面会した。
「保健省内で不正契約が行われようとしている」と訴えると、大統領は「それはリカルド・バロスが関係しているヤツのことだな」と心当たりがあるそぶりを見せたとミランダ下議がCPIで証言したことから、一気に疑惑の炎が燃え上がった。
公職にある人物が不正を知っていて黙認するのは「Prevaricacao」という罪になるからだ。
ルイス・リカルド氏に〝異常な圧力〟をかけた上司には、「アレックス・リアル・マリーニョ医療品調達総合コーティネーター」(陸軍中佐Tenente-coronel)、その上に冒頭のジアス局長がいる。
さらにその上にいるのが、エウシオ・フランコ専務理事で、彼も陸軍予備役大佐(Coronel)だ。当時の一番のトップ、パズエロ保健大臣が現役陸軍中将なのは有名だ。この軍閥ラインがルイス・リカルド氏に不正契約を認めるように〝異常な圧力〟をかけていた構図だ。
本来の単価より高い値段で購入する異常な契約を、保健省上部がムリヤリ進めようとする裏には「何か不正があったのでは」とCPI委員が疑問を持つのは当然だ。
軍部による過剰反応
非常識なワクチン不正交渉の中心に複数の軍人がいる構図が、この2つのワクチン不正契約疑惑からは浮かび上がってきており、その中心人物であるジアス元局長がCPIでしらを切り続ける様子に怒ったアジス委員長が、逮捕命令を出した。
その際、アジス委員長は「軍部内の良心ある者は、このように今日メディアで報道されているような存在を恥と感じるに違いない。ブラジルでは何年も聞かれなかったような、軍部の腐った部分が政府内の策略に巻き込まれているから」と発言した。
さらに同委員長は「私が言ったのは、ここに中佐や大佐が登場しており、これは軍にとって良くないということだ。これは3人や4人のことであり、全体とは関係が無い。上院およびすべてのブラジル人が軍には敬意を表している」とわざわざ補足コメントも発していた。
だが、軍部は7日午後、過剰とも言える反発を見せた。ブラガ・ネット国防大臣を先頭に3軍の長が連名で、「軍隊を軽視し、汚職の仕組みを一般化している」「ブラジル国民の民主主義と自由を守る機関への軽薄な攻撃」だと反論し、まるでアジス委員長の発言が軍部全体をおとしめているかのように過剰反応した(https://valor.globo.com/politica/noticia/2021/07/07/ministro-da-defesa-e-militares-repudiam-fala-de-presidente-da-cpi-da-covid.ghtml)。
軍の威嚇に反発するメディア
これに対して、グローボなどのメディアの多くは「軍の威嚇」だとして反発し、アジス委員長を擁護している。8日朝、CBNラジオでジャーナリストのミリアン・レイトン氏は「保健省は事実上、軍人によって乗っ取られたも同然」「この軍部声明は民主主義への脅し。このような脅しは、そのまま貴方たちにお返しする」と厳しく批判した。
7月8日付カルタ・カピタル記事(https://www.cartacapital.com.br/cartaexpressa/nao-existe-banda-podre-das-forcas-armadas-reage-general-santos-cruz/)によれば、フォーリャ紙の調査でこの10年間だけで軍事高等裁判所(STM)において、軍上層部が関与したと見られる20件の事件がお蔵入りになった。
つい最近、パズエロ元保健大臣が軍規で禁じられている政治活動に参加して問題になったが処罰されず、しかも立件までされているのにその捜査書類には「100年の機密」が宣言された。大変、善くない兆候だ。
UOLサイト7日付シッコ・アルベス氏コラム《保健省は軍人だらけ、仲介業者の天国になった》(https://noticias.uol.com.br/colunas/chico-alves/2021/07/07/lotado-de-militares-ministerio-da-saude-e-o-paraiso-dos-atravessadores.htm?utm_sour)にも、厳しい指摘が書かれている。
《パズエロ大臣は軍事物資の兵站専門家として医療物資輸送の効率化、厳しいコスト削減などが期待されていたが、現実は逆だった》と指摘。昨年、彼が大臣の間に、ワクチン交渉は横にはじかれ、コロナ死者は30万人以上を数える事態になった。にも関わらず、大臣を辞める際には「任務完了した気分だ」と言ってのけた。
アルベス氏は《疫学者や感染症の専門家が保健省の方針をリードし続けていれば、今回のコロナ禍での不幸なシナリオは、間違いなくこんなに悲劇的にはなかった》《感染症の専門家が戦場で部隊を指揮することは望ましくない。自己批判ができるのであれば、民間人よりも自分が優れていると思っている軍人は、自分が生身の人間であることを認識すべきである。他の人と同じようにミスをする可能性があり、彼らは兵舎でこそよく働くことができる》と締めくくった。
ただし、今回の軍部の態度からは、彼らが「国の機関」としての中立性を捨て、ボルソナロ大統領寄りになってきていることが明らかになった。
大統領は釈明しないことで事実だと認めている?
9日の時点で、ミランダ下議らの大統領の不正黙認証言から14日が過ぎたが、その時までに大統領からの反論も説明も一切なかった。
先週、CPIから大統領に緊急書簡が送られ、不正黙認に関する説明を求めた。その晩、恒例のライブ配信で大統領は、その書簡に関して「今日はレナン、オマール、ランドルフ・ロドリゲスの3人だ。彼らは大統領府をネタにパーティー(注=CPI)を開き、私に文書で答えを求めてきた。私の答えが何か分かるか? 私はクソをしてやった(caguei)。CPIのために。私は何も答えない」といつもの卑語混じりの口調で語った。
翌9日朝、CBNラジオで取材に答えたアジス委員長は「私は大統領に疑惑を否定してほしかった。だから質問状を送った。少しでも気に入らないことがあれば、言い返すのが彼のやり方だ。14日間も不正黙認疑惑に釈明をしない。否定しないということは、ミランダ証言が本当だったということだ。彼はミランダ証言を恐れている」との見方を公にした。
今週から続々と前述の軍人などの不正契約の関係者がCPIに召喚され、白熱した証人喚問になることが予想されている。
軍部の威嚇のような声明文の後、来年の大統領選挙において最有望株である左派のルーラ元大統領とシロ・ゴメス下議(PDT)は、それぞれアジス委員長に電話し、応援するコメントを伝えた(https://www1.folha.uol.com.br/colunas/painel/2021/07/ciro-gomes-e-lula-telefonam-para-presidente-da-cpi-apos-manifestacao-das-forcas-armadas.shtml)と報じられている。
CPIが進展するにつれて、どんどん大統領の支持率が下がり、岩盤支持層だけになりつつある。だが、最近の大統領の言動を見るに、まるで来年の選挙で勝とうと思っていない感じがする。常に自分の取り巻き向きのことしかしゃべらず、一般国民の支持を得るようなことを言わないからだ。その結果、ルーラの積極的なとりまとめもあって、「反ボルソナロ」を旗印にして中道勢力と左派がどんどん団結を強めている。この先、大統領が頼りにするセントロンからも寝返りが出ることが予想される。
そしてCPIは大統領のみならず、軍人も追い詰め始めた。「左派勢力+中道野党政治家」VS「大統領+軍部」という構図は、過激化すると極めて危険だ。
その方向性の先にある選択肢の一つは、大統領が軍を味方にしたまま、負けると分かった選挙を否定しつつ、罷免されそうになったら軍事クーデターを起こして専制政治に移行することだ。それだけは避けてほしい。
「大統領罷免」か「クーデター」かというところまで行く前に、第3者による仲介が必要になるだろう。あくまで軍には政治から距離を置いてもらい、憲法を尊重する理性的な判断を常に維持してほしいと願う。(深)