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リオ五輪のとき、バッハ会長はどんな人だった?

 今日から東京五輪が開幕する。だが、SNS越しに五輪に関する情報を見るに、日本から祝福ムードは感じられない。世論調査で78%も反対していれば、さすがに「この日が来るのをずっと待っていた」と喜びの声をあげることも難しくはあるだろう。
 日本のマスコミのテンションもかなり低く、盛り上げるどころか主催者側を叩くものの方が目立っている。中でも悪者にされているのはIOCのトマス・バッハ会長だ。
 「アルマゲドンが来ても強行開催だ」とまで言ったのは別の五輪委員ではあるが、日本のメディアは同会長の「五輪をやる使命」「コロナの対策に関しての楽観的な言葉」を伝えるだけでなく、「日本人というところを中国人と言い間違えた」「40人もの人を迎え歓迎会を行った「『日本人の忍耐力がためされる』と発言した」など、「日本人を上から見下したような白人イメージ」を伝えているように少なくともコラム子には見える。
 そこでコラム子の頭に「バッハ氏ってこんな人だったっけ?」という疑問が頭をよぎった。前回リオ五輪のときからIOC会長は彼だったが、どんなイメージだったか、思い出してみることにした。
 リオ五輪のときといえば、伯国の心配事は「会場建設やインフラ事業が五輪に間に合うのか」。とにかくその心配、一点だった。空港や交通の整備が追いつかずマスコミは終始、遅れを攻撃。
 しかも開催期間中は、ジウマ大統領が罷免前の停職中という異例な事態。常に伯国側が「申し訳ありません」とバッハ会長に平謝りで、同会長が厳しい言葉を残しながらも寛大に待つ印象だった。
 そして、いざリオ五輪が当初心配されたよりは大会として盛り上がると、バッハ会長はご機嫌になり、賛辞の言葉を惜しみなく述べた。こうした伯国での経緯から、同会長が日本で現在抱かれているような悪人イメージは正直なところなかった。
 ただ、リオ五輪が不安を上回る成功を成し遂げてしまったからなのか、今回のバッハ会長には事前のチェックの甘さの方がむしろ目立っているように見える。
 日本のワクチン接種率は1回目が約35%。「ワクチン接種が遅い」と日々批判的な報道が行われる伯国と比べても、10%ポイント以上下回る、五輪開催国とは思えない低さだ。
 加えて、開会数日前になって開会式の音楽担当者が倫理問題で急きょ降板の事態が起きるなど、これまでの準備周到なイメージの日本からは想像もできない、本番直前のドタバタが伝えられている。
 エコ五輪というテーマが浸透していないせいか、段ボール製のベッドや低品質のケータリング(食事提供の出張サービス)も問題視されている。バッハ会長自身、今大会が非常事態宣言の出された中で行われることに驚いたとも伝えられている。
 リオ五輪の予想外の成功で、バッハ会長は「東京ならもっと大丈夫」と高をくくってしまったか。(陽)