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《特別寄稿》日本ブラジル連帯の接着剤に=ブラジル日報協会会長 林隆春

10月29日、ブラジル日報協会創立祝賀会で挨拶した際の林隆春会長

 このたびブラジル日報協会の会長に就任しました林隆春です。私は日本で一般社団法人日本海外協会の代表理事をする他、特別養護老人ホーム4棟、有料老人ホーム、グループホーム、障害者施設を35棟余り経営しています。私とブラジルの関係は1985年、軍政から民政へと大きな政変があったその年から始まりました。
 当時、訪伯時に本で読んだ「ブラジルの奇跡」と言われた時代の高揚感はどこにもなく、200~300パーセント(1989年には2000パーセント近く)のインフレで、日系人のみなさんは日々の生活に精一杯、時代の波に翻弄される日々を過ごしておられました。【図1】
 「安定した円で人生を立て直そうよ」と日系のみなさんに声をかけて始まった私の出稼ぎビジネス。折しも日本は1990年のバブル崩壊に向けまっしぐら、日本は人手が足りず東北や九州といった地方からの出稼ぎも高齢化、猫の手も借りたいがその猫もいない状況でした。
 1989~1993年の日系ブラジル人受入れ第一の山が、日本の人材不足のお手伝いであったなら、第二の山の1996年以降は日本経済の意識が大きく変貌、グローバル社会の中で日本経済生き残りをかけた総額人件費削減対策を目的とした受入れが多くを占めました。
 2000年代に入り、日本もコンプライアンス意識の向上、現在はSDGs(持続可能な開発目標)もあり、80~90パーセントのみなさんは社会保険、年金に加入していますが、2005年より以前のみなさんの社会保険や厚生年金の加入率がいかに低かったか、日本経済立て直しのツール、そして人件費の変動費化を進めることで企業は再生した一方で、日系人社会は大きなダメージを受けることとなりました。

【図1】

 多くの日系人が日本企業のコストカットの犠牲者となり、今なおその傷は癒されていないどころか、圧倒的多数の年金加入年数10~15年のみなさんが老いを迎え、日本での生活が長期に渡り、ブラジル日本ともに関係性が弱く、根無し草の中で老後の不安は増しています。
 子どもたちはもっと大変です。私は日本でブラジル人向け保育園、学童保育、子どもの障害者向け児童デイサービス、日本語教室など様々な事業を行っていますが、近頃つくづく感じるのは、私たち日本人は日本で園だけではなく社会に育てられているのがよく分かります。

 個人や家族としての存在、保育園としての存在、日本社会における存在、自然体で育てたいと考えても不連続な存在になり、目の前にいる子どもたちが今後70年も80年も生きるであろう壮大な人生ドラマの中で、最も基礎となる部分を形成する教育がこれで良いのかと呻吟する今日です。
 ブラジル人中学校を卒業した子は言います。「日本の高等学校に行くようになって初めて日本が分かった」と。子どもの頃培った心は、表面的には成長とともに変わっていくのでしょうが、子どもの頃に受けた基礎教育や倫理道徳等の「核の部分」はずっと貫かれていくものではないでしょうか。子育ての責任の重さと現状の乖離に打ちひしがれることがあります。
 イギリスの詩人、ウィリアム・ワーズワースの詩を付けさせていただきます。

ワーズワースの詩

 紙面が残り少なくなりました。最後は経済です。日本は高齢化社会を迎えていますが、このひずみがそこかしこに出現しています。例えば企業の倒産と廃業社数です。【図3】

【図2】出所:2015年までは総務省「国勢調査」、2018年は総務省「人口推計」(平成30年10月1日確定値)、2020年以降は国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成29年推計)」の出生中位・死亡中位仮定による推計結果。

 ある東証一部上場企業の人事担当者が嘆いていました。協力会社を調査したところ、最も大きな悩みは技術でも資金でもなく、経営者と従業員の高齢化だと言います。日本の企業は約1パーセントの大企業と約99パーセントの中小企業で成り立っていますが、これほど凄惨な現実、そして未来を考えると、日本経済は今後も改善の可能性は低いものと思われます。

【図3】出所:(株)東京商工リサーチ 2020年「休廃業・解散企業」動向調査、2020年「全国企業倒産状況」、「全国社長の年齢調査(2019年12月31日時点)」

 しかし、日系ブラジル人に開放される労働市場は大多数が非正規、派遣、単純労働市場で、企業幹部や後継者として期待されることはほとんどありません。経営者としての日系人は日系人社会相手のビジネスもしくはブラジル製品の輸入ビジネス(コーヒー、石など)のみです。
 日本人市場での成功者はほとんどいません。各都道府県には事業引継ぎ支援センターがあり、【図3】の如く廃業会社を引き継がせようと試みていますが、難航しているのが現状です。企業や行政のみなさんは、日系人を30年を経た今も出稼ぎ労働者以外に考えることはまずありません。
 出稼ぎの定義は、「帰る場所があり、帰った時に就く職業があり、かつ1年未満の期間まで」に決まっています。全てに当てはまらない人が大多数になった現状ですが、対応は旧来の出稼ぎのままになっています。
 ブラジル国内のコロニアも同じで、以前あったコチア産業組合、南米銀行が解体され、若者が国外へ行き、高齢化、分散化したコロニアが外国資本の下請となり、まさにグローバル資本主義の縮図を見ているようで首筋が寒くなる思いがいたします。
 今こそ連携が必要です。連帯の接着剤たる「ブラジル日報」の出番が来たとも思い、経営参加を決意した次第です。より良い日系社会創造に向け微力、浅学菲才ではありますが、邁進していく所存です。今後とも宜しくお願い致します。