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不足する資源と、いつまでも尽きないもの

バイア州の人々の日常や命を奪った水害の爪あと(Isac Nobrega/PR)

バイア州の人々の日常や命を奪った水害の爪あと(Isac Nobrega/PR)

 本紙15日付1面「東西南北」欄に、ガラス瓶が不足してビール業界が困っているという話が書かれている。この部分を読み、ブドウのジュースを造っている会社が昨年、ガラス瓶不足で一時的に生産を停止した話を思い出した。
 ガラスの主な原料は珪砂だ。父が日本のガラス会社の関連会社で珪砂を掘り出す現場の安全責任者だったため、毎日のように図面を広げ、採掘計画を立てている姿を目にしてきたし、採掘現場で作業を見た事もある。
 だがその当時から、こういう原材料はいつまで持つのだろうと思ったものだ。原油や石炭、アルミニウムなども然り。小中学生の頃芽生えた、どんなに地球が大きくてもいつか掘り尽くすのではないか、という不安は今も消えていない。
 そういう意味でコラム子にとり、「持続可能な開発」という言葉は目新しいものではない。ブラジルや米国、中国では気候変動による少雨で水不足が起き、水力発電が困難になって火力発電に頼る事態が生じた。これも、過去の出来事からある程度予測できていた事だ。
 目の前にあるものや日常が永遠ではない事を示すのは、ガラス瓶や石油などだけではない。
 春が来て青々と葉を茂らせた植物も、寒さが来たり、季節が過ぎたりすれば枯れてしおれる。バイア州やミナス州、サンパウロ市での水害被害もその一例だ。
 新型コロナのパンデミックでも、自由に出歩ける事や何事もなく1日を過ごせる事は当たり前ではない、と思い知らされた人は多いはずだ。
 予防接種が済んだから年末は皆で集まろうとか、来年は○○をしたいなどと考えていた人も、オミクロン株出現で予定変更を迫られそうだ。
 パック豆腐はスーパーなどで大量販売するために生まれたが、日本では今、容器持込で量り売りする店が流行っているとか。資源と環境を保護する取り組みはますます重要性を増すはずだし、実情に即した生活形態の変化も充分にあり得る。
 だが一方、どんなに時間が経っても変わらず、いつまでも尽きないものがある。その一つは、笑顔や愛情、希望だ。ギリシャ神話のパンドラの箱には、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などの様々な災いと共に、「希望」が入っていた。また、聖書には「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」とある。
 キリスト教徒にとり、クリスマスは人類の希望の光で、神の愛のしるしでもあるキリストの誕生を祝う時。ニッケイ新聞の名前でコラムを書くのは最後だが、読者一人ひとりの心の中に永遠の光が宿り、平安のうちに愛と希望に満ちたクリスマスを過ごせるようにと願って止まない。(み)