ニッケイ新聞 2014年2月4日
1月半ばに右手首を骨折し、金属プレートを入れる手術を受けた。手術という言葉に最初は愕然としたコラム子も、2週間でリハビリ開始の許可が出て普通の骨折の半分と小躍り。リハビリそのものは順番待ちだが、引っ張っただけでは元の位置にはまらなかった骨に感謝(?)した次第だ▼とはいえ、石膏を外した後の手は不自然な角度で固まり、手のひらを合わせる事さえままならない。コンピューター用のマウスを握ってみれば手の甲に痛みが走る、箸を持ってみても手首をひねる事が出来ず、右手で食べるという行為がとてつもない大仕事に思えてくる▼たかだか1~2週間でこれなら、通常の骨折で1カ月ギブスをはめていたら関節などももっと固まっていたに違いないと思った時、肉体や精神の別を問わず、型にはまる事は恐ろしいという考えが脳裏をよぎった▼直立歩行が原因とも言われる脱腸は、逆立ちをするなどの工夫で防げるとか、普段と逆の動きをする事で体幹のねじれが解消されると聞いた事がある。また、洗脳まで行かなくても、型にはまった考え方ゆえに発想が制限され、身動きさえ取れないということは無いか、あるいは周囲の人の自由な発想を妨げていないかとも考えた▼他方、欠勤中に書かれた新聞記事に後輩記者達の成長をみたのは別の意味で大きな収穫だ。会社でも家でも労わられた期間中、思い出したのは、「おいしい物を食べるだけの口に立腹した手足がもう働かないと言い出し、飲まず食わずとなった体全体が弱った時、各器官が互いの存在や機能を認めた」という寓話だ。お互いが支え合い、補い合って成り立つ社会。自由さや柔軟さも取り戻さねば。(み)