ニッケイ新聞 2014年2月5日
最後の製茶工場を経営するレジストロの天谷良吾さんの祖父、捨吉さんは少し変わった人だったらしい。福澤一興さんが12年に天谷伊都子さん(当時92歳、良吾さんの母)から聞き取ったメモには「おじいちゃん(捨吉)は本ばかり読んで何もしない人だった。ある時、まだ小さかった私の子供たちを集め、『科学の力は大したもんだから、そのうちに人が月に行けるようになる』と話しているのを聞き、何をバカな事をと思った。今から思えば、遠くを見られる人だった」と興味深い回想をしている▼天谷邸の前には広い池がある。福澤メモによれば「小川を手作業で堰とめて堤防を築き、1アルケールの池を作った。目的は子供たちにタンパク質が豊富な栄養ある魚を食べさせるため」と由来が書いてあった▼祖父が北海道開拓時代に、子供に栄養あるものを食べさせることの大事さを学んだに違いない。夢見がちな部分を持ちつつも、足元を見失わない。それが〃遠くを見られる人〃なのだ▼純洋風に見えた天谷邸だが、玄関を入ると正面に北海道知事の額、左手に立派な仏壇があり、中は和風だった。暑い地域だけに天谷家では水代わりにアイスティーを飲むのだと、氷入りグラスで出された。チリンという涼しげな音と共に、目に鮮やかな深紅、濃厚な香りが格別で驚いた。この飲み方なら真夏のサンパウロ市でも合うに違いない。レストランのメニューに入れてはどうか▼岡本農場には、寅蔵がセイロンからもってきた種から育てた原木がまだあるとか。ふだんは珈琲党のコラム子だが、その日ばかりは紅茶の歴史を味わいながら、移民と共に海を渡った〃宝の木〃に思いを馳せた。(深)