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連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(96)

ニッケイ新聞 2014年2月12日

【??『般若心経』?】

「で、フルカワどうする?」

もったいぶった口調で、

【考えてやってもいいが、それから、車は?】

「中嶋和尚の安全の為に大型車を用意する」

【よし、承知した】

「それから、罰金は自分で払うんだぞ!」

【そのくらい常識だ! それで、他の費用は?】

「正当な領収書があれば、費用はみる・・・」

【よし! 行ってやる!】

言い終ると古川記者は先を競って電話を切った。

第十五章 布教

二日後、中嶋和尚と古川記者はローランジアに向かってサンパウロ州の素晴らしい高速道路カステロ・ブランコ街道を制限時速百二十キロプラス許される七パーセントのスピードに自動セットして走り、七十キロ毎に現れる料金所をETC装置で通過し、快適に距離を伸ばしていた。

「和尚さん、どうしてブラジルに?」

「井手善一和尚に仕えようとブラジルに来ました」

「で、どうしてローランジアへ?」

「その井手善一和尚に会うためだったのですが、その井手善一さんは日本に帰られ、それも既に亡くなられていました」

「では、ローランジアへ今更?」古川記者はしつっこく取材した。

「せめて住んでおられたローランジアとはどんな所か知っておこうと・・・。それに、なにかが呼んでいるような不思議な予感がして、どうしても・・・」

「なにかが呼んでいる?そうですか。その、井手善一さんが、私が思っているお坊さんであれば、その方の事は多少知っています」

「どう云う方だったのですか?」

「大酒飲みで、皆に慕われた坊さんで、実際に本人に会いませんでしたが、この方の事を書いた本には『布教和尚』とかなんとか書いてありました」

「どんな本ですか?」

「『ローランジア、オブリガード』と云う題名で発行された本です」

「ポルトガル語の本ですか?」

「いえ、題名はポルトガル語ですがカタカナで書いてあり、中は全部日本語でした」

「『ローランジア、オブリ、なんとか』とは、どう云う意味ですか?」

「『オブリガード』とは『ありがとう』と云う意味ですから『ローランジア、ありがとう』と云う意味です」

「是非、その本、見たいですね」

「発行部数が少なく、私も借りて読みました」

「ジョージさんの話では、とても小さい町のようですが」

「私もこの本を読むまではこの町の名前すら知りませんでした。だから、行ってみないと・・・。で、和尚さんは・・・」

「中嶋と呼んでください」

「で、この方のどう云う所に共感されたのですか?」

「志と布教活動です」

「なにか特別な?」

「迷いのない一徹な姿勢が素晴らしいと思いました。それに、この方がどんな生活をし、特にどんな布教活動をしておられたか知りたくて、お寺まで建立されましたからね」

「でも、なんでわざわざブラジルまで・・・」

「手紙には、心を許せる父宛に打ち明けた事が載っていました。それは、布教の難しさです」

「どんな事を?」

「最初の一年間、町の日本人すら挨拶もしてくれなかったそうです。勇気を出して、ある古い開拓農家を訪ねたところ、そこのお婆ちゃんから『うちの人が亡くなった三年前には坊さんは誰も来てくれんかったのに、なんで今頃、ノコノコ出て来るんじゃ。どうせ金儲けじゃろう』と泣きながら言われ、門前払いを食ったそうです」

「お婆ちゃんにしてみれば、そうでしょうね」

「それでも、井手善一和尚はお婆ちゃんの夫の霊に、家の外でお経をあげたそうです」

「で!」

「水をかけられて・・・」

「酷い仕打ちですね!」

「それでも、お経を最後まで続け、お婆ちゃんの夫を成仏させる事が出来たそうです」