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カンポ・グランデ=移住100周年に向け着々=8月、母県から慶祝団迎え=「ソバ祭り」も開催

ニッケイ新聞 2014年2月26日
地図上のカンポ・グランデを指差す志良堂ニウトン会長

地図上のカンポ・グランデを指差す志良堂ニウトン会長

南マットグロッソ州カンポ・グランデ市で「沖縄県人移住100周年」が8月に開催されるにあたり、主催団体である沖縄県人会支部の志良堂ニウトン会長(58、三世)が、「沖縄県人の功績を広くPRしたい」と張り切っている。沖縄県へも招待状をすでに送付し、姉妹州県を結ぶ同州政府の協力も取り付けた。市無形文化遺産である沖縄そばを前面に押し出し、「SOBAフェスティバル」を企画するなど、県系人の存在感を大きく打ち出す考えだ。

ポルト・エスペランサ、バウルー両方面から延びていた線路が1914年にカンポ・グランデで連結され、ノロエステ線が完成した。7年かかったこの敷設工事に約70人ほどの日本人が工夫として働いた。そのうちの一人、山城興昌氏が野菜作りを始めたのが同地コロニアの草分けとされる。(カンポグランデ日系コロニアの歩み)。

現在、カンポグランデには約1万5千人の日系人が住み、うち約7割が沖縄系といわれる。06年には沖縄そばが市の無形文化財となり、バスターミナルにはモニュメントがあるなど独特の沖縄文化が発展している。

志良堂会長は、「鉄道開通、沖縄の食文化普及を、県人の功績として大きく評価する機会にしたい」と一世紀の節目を位置づける。

鉄道建設に関わった日本人が写った写真がブエノスアイレスの鉄道博物館にあることを伝え聞いていることから、「探して式典の場で披露できれば」と話している。

「アンドレ・プチネリ州知事はかつて訪問した沖縄に、とてもいい印象を持っている。今回の行事にもとても協力的だ」と話し、25日には知事とフェイラ関係者と会合を持ち、「SOBAフェスティバル」の開催も進めている。

志良堂会長は「我々の祖父母は何もなくブラジルに来た。持ってきたのは文化。これを今後も維持していければ」と力を込める。

なお同月、ノロエステ線を通り、開拓に向かったボリビア・オキナワ移住地も創設60周年を迎える。