ニッケイ新聞 2014年4月4日
今回は軍政に反対した民衆について検証する。
民衆側の反乱は、1967年にミナス・ジェライス州とエスピリトサント州の間のカパロン山脈に初の武装ゲリラが結成されてから激化する。その動きは、トカンチンス州のアラグアイア川沿いで大規模なゲリラ活動を展開したブラジル共産党(PC Do B)や、同党から独立し、民族解放行動(ALN)を率いた革命家カルロス・マリゲーラなどによって牽引された。ジウマ大統領もこの当時、国家自由コマンド(Colina)の一員として軍政と戦っており、71年に逮捕されて、軍から拷問を受けている。
67~68年には、若者たちによる文化を通した反軍政の動きも活発化していく。ブラジル映画史上最大の文化運動「シネマ・ノーヴォ」を牽引したグラウベル・ロッシャは、「テーラ・エン・トランセ」で軍政の世を風刺した。また、サンパウロ市の劇団テアトロ・オフィシナは、1920~30年の現代芸術運動時の共産主義者の作家オズワルド・デ・アンドラーデ作の「オ・レイ・ダ・ヴェラ」を上演して話題を呼んだ。
また、音楽も反抗的な気運を盛り上げた。1965年から各TV局がはじめた「MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)フェスティバル」には、60年代の若者にとっての世界的な潮流だったフォークやロックの影響を受けた若者たちが次々と出演し、次第にプロテスト・ソングを生み出す場と化した。ここから台頭したカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルは、怒れる音楽家や芸術家たちと連帯して「トロピカリア」という文化運動を起こした。また、MPBフェスティバル出身者からは、シコ・ブアルキ、エリス・レジーナ、ミルトン・ナシメントなども台頭し、若者文化の形成を担った。
こうした時代気運は68年6月26日にリオで起きた「10万人大行進」でひとつのピークを迎えた。ここには前述した歌手たちもこぞって参加し、後年の文化史の中で語り継がれている。
こうした反抗の流れには、68年12月の軍政令第5条(AI5)の制定で強い圧力がかかり、政治活動家や、カエターノやジルをはじめとした芸術家も国外亡命を余儀なくされた。
だが、軍政終了後の現在、ジウマ大統領をはじめ、当時の学生運動の闘士が政権を担うことはもはや珍しいことではなく、MPBの中心人物たちも今やブラジル音楽界の重鎮となっている。