ニッケイ新聞 2014年4月15日
ブラジル文学史上、最大の文豪として名前が挙がるのが、19世紀に生きたマシャード・デ・アシス(1839―1908)だ。当地文学界最高権威といわれる「ブラジル文学アカデミー」を設立し、初代会長にもなった彼の作品の研究者は数多いが、その中の一人、レシフェ出身の作家ジョゼ・ルイス・パッソス(42)氏が「文学界で新風を巻き起こしている」とフォーリャ紙が取り上げている。
2007年に刊行した、マシャード・デ・アシスの作品の登場人物に関する評論集『Romance com Pessoas – A Imaginacao em Machado de Assis』(400頁)の改訂版を今年出した同氏は、学術界では新進気鋭の学者として知られる。
ペルナンブッコ連邦大学の社会学部を卒業し、95年に24歳で渡米、大学院に進学した。わずか3年で修士・博士課程を卒業、世界的な名門校UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の教員のポストを得た。現在、同校でブラジル文学とポルトガル文学を教えている。
作家としては、2作目の長編小説『Sonambulo Amador』(2012年)が、権威ある「ポルトガルテレコム文学賞」、「ブラジリア文学賞」を受賞し、評論家から高い評価を受けた。
「とても自信になった。中途半端にするのが怖かったから」。フォーリャ紙の取材に同氏はそう答える。「書くことは、努力と孤独を要求する。例えば海岸でビールを飲んでいても、皆から孤立して、自分の世界に入り込んでいるんだ」。
処女作『Nosso Grao Mais Fino』(2009年)を書き上げるまでには6年を要したが、大学での授業、家族と過ごす時間の合間を縫っての執筆作業で、2作目も同じ時間がかかった。
創作活動と学者としての人生に関しては、「文学者であるということは、創作においては技法を考える上で役に立つ。完全に別の作業というわけではない。でも、ゴールについて語るだけじゃなくて、自らゴールをしたいときがあるんだ」と関連付ける。
さほど大きな目標はないまま、米国に渡りそのまま20年。妻と2人の子供に囲まれ、安定した生活を送る。帰国する予定はないが、学者としても作家としても母国への関心を失ったわけではない。むしろその反対だ。
作家としての情熱は、昨年のパラチー国際文学祭(Flip)に招待された際にも伺えた。その皮肉のきいた鋭いコメントで観客を魅了し、進行役を務めたディベートでは、決められた時間を超えて発言したコメンテーターに「催涙スプレーで攻撃しますよ」と脅すブラックユーモアも覗かせた。
パッソス氏の博士課程で指導教官だったランダル・ジョンソン教授は「大学院の講義では、彼が先生で私が生徒のような感覚をたびたび覚えた。それほどの頭のよさ。彼は米国におけるこの世代の最も優れたブラジル文学の専門家だ」と絶賛している。(12日付フォーリャ紙より)