ニッケイ新聞 2014年4月23日
20日にプロミッソンで行われた安永家100周年では350人が集まり、盛大に祝った。驚いたのはわずか3人で渡伯した家族が、百年後に410人に増えたという事実だ。移民大国ブラジルといえど記録的な数字だろう▼410人の内訳は一世が3人、二世が20人、三世が110人、四世が204人、五世が73人というもので、最多部分が四世という事実に度肝を抜かれた。ノロエステ沿線は〃移民のふるさと〃と言われるだけあって、世代の変遷にも歴史を感じさせる▼一番少ないのが一世3人というのは、主に日本から嫁いできた女性だとか。母親が家庭内で日本語を使うことで、子供もそれを覚える。日本人妻は日本文化を担う重責を担っている▼輪湖俊午郎は《ノロエステ全線には約九千五百家族、人口五万人》(『ノロエステ連合日本人会』会報第1号、62年、5頁)と書いた。母国以外で日本人が平和的にこれだけ集住した場所は、世界広しといえど多くない▼安永和教さんはリンス文協の元会長、修道さんはマリンガ文協元会長、邦義さんは中西部日伯協会連合会現会長、博通さんはカンピーナス文協元会長、信一さんは飯星ワルテル補佐官、本田泉さんは救済会専務理事、関二さんはブラジル住友電装専務取締役、エジソンさんはプロミッソン市議など一族の有名人を数え上げればきりがない▼二世最長老、93歳の忠邦さんに家族団結、発展の秘訣を尋ねると「ワシらには分かりませんな。ただ必死にやってきただけ」と答えた。安永家が日本に居続けたら同じ発展をしただろうか。一族にとってなんと密度の濃い一世紀だったかと考えさせられた。(深)