ニッケイ新聞 2014年4月24日
国の真相究明委員会は22日、1976年8月にリオ州の街道で交通事故死したとされるジュセリーノ・クビチェック元大統領の死は、不慮の事故によるものだったと断定した。サンパウロ市の真相究明委員会が昨年12月に出した「政治的陰謀による暗殺」という結論とは異なり、従来の説通りの結論を出した。23日付エスタード、フォーリャ両紙が報じた。
国の委員会の犯罪鑑定人らは、事故当時車に乗っていたクビチェック氏と運転手のジェラルド・リベイロ氏が当時の軍事政権の陰謀によって暗殺された可能性を却下する、1970年と80年に作成された鑑定書を「説得力のあるもの」とした。
また「(両氏が)殺人事件の被害者だったことを示唆する証拠はどこにもない」とし、1996年にリベイロ氏の遺体が掘り起こされた際に頭蓋骨内で発見された金属片は、棺の補強に使われた釘だったという鑑定結果を事実とした。サンパウロ市の委員会は、同金属片を拳銃の弾だと報告していた。
鑑定書や証拠を分析したペドロ・クーニャ鑑定人(国の委員会メンバー)による報告は次の通り。「ジェラルド・リベイロ氏が運転していたオパラ(車種名)は、時速80キロでヅットラ街道をリオ方向に走行していたが、途中で車線からはみ出し、同方向に向かう隣の車線を時速65キロで走っていたコメッタ社の高速バスに、側面から衝突した。バスの乗客は衝突に気づかなかったが、衝撃で向きを変えたオパラは、同街道の中央分離帯を通り越し、反対車線を走っていたトラックに衝突した」。
一方、サンパウロ市の委員会では、事故死した二氏が暗殺されたという状況証拠を103件挙げ、「運転手は銃撃されてハンドルのコントロールを失い、その後トラックに衝突した。元大統領の死は陰謀、政治犯罪の企てによるもの」と結論付けていた。
サンパウロ市の委員会は今回の結果を受け、国の委員会メンバーとの会合の場を持ちたいとの意向を示している。サンパウロ市の委員長のジルベルト・ナタリニ市議は「我々には何の確認や相談もなかった。互いの報告書を一点ずつ照合したい」とした。
ブラジリアを建設したことで有名なクビチェック元大統領は大統領退任後、1964年のクーデターで政治的権利を剥奪され、米国などに亡命。軍事政権には反対の立場を取っていた。