ニッケイ新聞 2013年12月7日
軍政による暗殺説が囁かれ続けていた第24代大統領ジョアン・グラール氏の遺体が、37回目の命日の12月6日、南大河州サンボルジェの墓地に再び埋葬された。
ジョアン・グラール氏は「ジャンゴ」の愛称で知られ、1964年の軍事クーデターで大統領職を追われた。亡くなったのは逃亡先のアルゼンチンの農園に居た1976年の出来事で、公式の死因は心筋梗塞とされている。だが、司法解剖もされておらず、同氏の見張り役を務めたウルグアイ人当局者が毒殺を臭わす発言をした事などから、「コンドル作戦」による犠牲者の一人に違いないとの推測が強まった。
このような流れの中、遺族らの要請を受けた真相究明委員会が同氏の検視を行う事を決め、法医学者らをサンボルジェに派遣。11月13日に地下埋葬室が開けられ、遺体周辺の空気の試料を採取した後に遺体を搬出、翌日、ブラジリアに搬送された。ブラジリアでは未亡人のマリア・テレーザ氏や歴代大統領も出席した式典が持たれた後、遺骨などからサンプルをとる作業が行われた。
DNA鑑定以外の検視作業は国外で行われ、結果が出るのは8カ月後だが、命日の12月6日には再び安眠をとの約束通り、6日朝の出棺式後、ジャンゴ氏の遺体は8時21分にブラジリアを出立。空軍機にはテレーザ夫人や息子のジョアン・ヴィセンテ氏、人権局長官のマリア・ド・ロザリオ氏が同伴した。
サンボルジェに着いた遺体は町の中心にある教会に運ばれ、午後3時半にミサを行った後、同4時半頃、埋葬された。
37年前のサンボルジェ帰還時は、時速200キロで墓地に直行せよとの軍からの命令を受けた車を民衆が止め、教会での通夜の後に支持者達の手で墓地まで運ばれた元大統領。前回は国や州の当局者は一人も居ない葬儀だったが、今回は軍兵士や軍警エリート部隊にエスコートされた上、遺族や当局者らも出席して手厚く葬られた。