ニッケイ新聞 2008年1月1日付け
あるわ、あるわ。ブラジルどころかパラグアイにも鳥居はあった。サンパウロ市リベルダーデのガルボン・ブエノ街のそれは日本のシンボルとして、たくさんの日系団体や企業や商店のマークに使われている。そこで編集部では、読者に呼びかけて全伯の鳥居を探した。すると、少なくとも十基以上の鳥居がすでに建立されているか、百周年を機に建てられようとしていることが分かった。これほどの鳥居がある国は日本以外ではブラジルだけだろう。「なぜお社がないのに鳥居だけが?」などと疑問を呈しても、すでにあるのだからしょうがない。「鳥居大国」ブラジルの知られざる姿を紹介する。
サンパウロ州バウルー市=かつては養蚕の守り神=由緒あるパウリスタ神社
日本では、氏神様・神社・招魂社・お稲荷さんの入り口に立っている鳥居。
サンパウロでは、リベルダーデ区内のガルボン・ブエノ街を跨いで立っているのが有名だが、お社ではないので頭を下げることもない。この度ニッケイ新聞の新年特集号に、鳥居の写真を募集するとの記事を見て、パウリスタ神社の事を応募しようと思った。
お社はあまり大きくないが、大小二基の鳥居が建っている確かな神社である。
バウルー市からマリリア市に行く街道SP294の、373キロの地点を右に一キロほど入った所に、今はかなり茂った林に囲まれて建っている。
このあたりは、今でこそ数家族の日系人が住むのみだが、かつては日系人が多数在住した植民地、フジ・バロコンと呼ばれた一帯である。戦前一九二〇年代から日系人がどんどん入って、全盛期には数百家族がカフェー、綿花、雑穀、養蚕等に従事する一大生産地であった。
特に隣町のドアルチーナからこの地域には、福岡県から移住した家族が多く、今でも福岡県人会があり、年に一度の親睦県人会も神社の境内で開催して各地から多くの県人が集う。サンパウロ福岡県人会長の松尾治氏も参加されている。
今から三十数年前、一九七三年にアルジャ市に本社のある、神の家ブラジル大神宮巖戸神社の森下教祖より御神意を戴き、守護神を迎えることになった。別府藤吉氏が所有地の一画を寄贈、宮大工の別府政吉氏の献身的な尽力を得て、代表者五名(田中、安藤、益山、本田、小坪)の諸氏により、巖戸神社の分社が建立された。
当時は特に養蚕が全盛の時代でバウルー蚕祖神社として表敬された。戦後は養蚕移民も多数入植したが、時代も移り変わり社会経済の変動で、現在は養蚕家も激減して、植民地には日系農家も少なくなった。
一時は神社の存続も危ぶまれたが、社名をパウリスタ神社と改めて、周辺一円の守護神として、バウルー市内の有志の後援も得て、毎年七月の吉日には鎮座祭を行って、近隣都市やかつてこの地で生まれ育った人々が、郷愁を求めて集う日でもある。
移民百周年の年、パウリスタ神社も創建三十五周年を迎える。氏子たちも二世三世と多く代替わりしているが、先駆者の残したこの遺産を、後世に伝えていく努力を重ねている。
(バウルー=酒井威夫さん)
リベルダーデ=原点はガルボンの鳥居
ブラジルで最も有名?とも言える、東洋人街リベルダーデの大鳥居。
日本人街リベルダーデを「リトル東京」にしようとするサンパウロ市の計画が始まったのが1969年。その後、東西道路建設でシネ・ニテロイは消え、街が姿を変えた頃。街が「東洋街(Bairro Oriental)」となった1974年、現在の大阪橋たもとに建設された。
以来30年、皇室をはじめ、日本・ブラジル多くの著名人がこの鳥居の下を通り抜けてきた。今も、旅行者、そして多くの市民が行き来する。
日系人が作りあげてきた街、リベルダーデ。ブラジル日系社会を象徴する街のシンボルとして愛されてきたこの鳥居も、サンパウロ誕生四百五十周年を迎えた2004年に新装され、5メートルほど道路側へ移動した現在の位置に移った。
2代目となったガルボンの大鳥居は、今も静かに〃日本人の街〃リベルダーデを見守っている。
町の立派な玄関=車4台が通れる=パラナ州アサイ市
パラナ州アサイ市にある鳥居は、市内の〃入り口〃を表すシンボルとして、その姿を悠々と構えている。この鳥居は佐藤マリオ前同市市長が〇四年に、連邦政府に企画書を提出し、資金援助をうけて建てたもの。
コンクリート製で高さは約十メートル。横幅は車が四台ほど同時に通れるほどの広さがあるという。
同市の住民の話によれば「日本的な建物として街に暮らす日系の高齢者に歓迎されている」という。ただ近年は非日系の家族も同市で増えており、「多くの人がこの鳥居が何なのかわかっていないかもしれない」との声もあるとか。
また市内の池田公園内には、池や散歩道といっしょに小さな鳥居がある。
鳥居が2つあるわけは「土木課長が作った」=パラナ州パラナグア市
日本移民、渡伯百周年を来年にひかえ日系集団地のあるサンパウロ州やパラナ州では、地元日会役員たちが市役所と協力しあい、それぞれ、日本文化の紹介や日本庭園造りに拍車をかけています。
私たちの町、パラナ州パラナグアでも二十年前に兵庫県淡路島の津名町と姉妹都市提携を結び、いろいろな文化交流を進めていたのでしたが、歴代市長が日本文化理解者というわけではなかったので、十数年間交流が途絶えていました。
現市長になって、二年前から日本とのつながりを温め直し、それに、日会会長の遠藤氏が全会員をまとめて応援するので、今年の百年祭は町を挙げて盛大に祝うことになるでしょう。
その百年祭の目玉のひとつとして、淡路記念館を建設中です。
先日、前夜祭的記念事業として、JICA派遣の川下造園師の協力を得て、日本庭園を造り市民にプレゼントしました。その落成式が七月の最終日曜日に行われました。
この庭園は、二十年前の津名町との姉妹都市提携地だったので場所としては申し分ないところです。
そこに、自然石と盛り土で高さ四メートルの滝を作り、滝の上に祠を奉り、周りに布袋竹や柳を植えたのが、数年前に日語校生徒たちが植えたヒマラヤ桜とよくマッチして、本当にすてきな庭園ができあがりました。
その庭園の入り口には、高さ六メートルのユーカリの丸太の鳥居が温かく迎えてくれます。これは、あちらこちらにある、地方の日本公園と比べても引けは取らないな、とわれら日系人共々喜んでいたところ、もう一人の、大の日本びいきの市役所土木課長が市長の許可を得たとかで、同じ公園内の反対側に、人工の小川と池を作り、丁寧にも池の中に、箱根や厳島の鳥居をコンピューターで引き出し、そのコピーを作ってしまったのです。
おかげで、私たちの公園には、竹や柳にマッチした素朴な丸太の鳥居と、一見重厚ながらも、派手な赤い鳥居と二つもあるのです。
そして、ブラジル人や日系三世たちには、この派手な鳥居の方が日本文化として受けているのです。
これが日本なら、古代から奉ってある素朴な祠や、神殿や鳥居を敬う心は当たり前なのですが、ブラジルの日系三世たちに敬う心や侘びだの寂びだのを説明しても解ってもらえないでしょう。
それに、水に映る赤くて派手な鳥居の方が、記念写真としてもきれいに撮れますからね。
ブラジル中の日系人の皆さん、二つの鳥居を見比べながら、美味しい蟹やムール貝料理でも食べに来ませんか、そこで大いに飲み、大いに食べながら鳥居自慢に花を咲かせましょう。
(パラナグア=増田次郎さん)
市民に親しまれる公園に=鳥居は〃東洋の象徴〃=サンパウロ州ボツカツ市
サンパウロ州ボツカツ市セントロにある日伯広場(プラッサ・ブラジル・ジャポン)には、三つの赤い鳥居が中央の池に向かい合って建てられている。
元ボツカツ文協会長の坂手実さんによれば、同広場自体は一九八五年ごろ、市が日本人移住者に敬意を示すために作った。その後、鳥居は池と一緒に九三年ごろに建てられたという。
基本的な鳥居のつくりは、二本の支柱に笠木(かさぎ)・島木(しまぎ)と呼ばれる木を横に渡し、その下に貫と呼ばれる柱を横にいれ、その間に額束という一本の木を中央に縦に挟むのが一般的。しかし同地の鳥居は本来一つのはずの額束が二つある特殊な形になっている。
鳥居のおかげで、広場の設置目的も広く市民に知られるようになったという。〃東洋の象徴〃として親しまれている。
百周年にあわせて、同広場内に桜を百本ちかく植樹する計画もある。
ヅットラ街道の新名所=最大級で〃最先端〃型サンパウロ州サンジョゼ・ドス・カンポス市
昨年十二月十二日付け本紙でも伝えたように、サンジョゼ・ドス・カンポスでも鳥居と記念公園の建設準備が進められている。
高さ十六メートル、幅十四メートルは、完成すれば、まさしく〃ブラジル最大〃だろう。他所とは異なり、こちらは塗装の必要がない鋼鉄製。先端技術都市のサンジョゼらしいアイデアだ。
来年六月をめどにヅットラ街道沿いに建てられるこの鳥居。サンパウロ―リオ間を行き来する人たちにとっても格好の名所になりそうだ。
リベイラ河畔に堂々と=洪水で宮島そっくりに=サンパウロ州レジストロ市
リベイラ河が悠々と流れる河の畔に、我が町の鳥居がある。高さ七メートル、鉄筋コンクリート作りで、一九九三年、レジストロ日本移民入植八十年周年を記念して造られた。設計と施工は高橋国彦建築士、清水リーナ建築士で、宮島の厳島神社の鳥居がモデルである。
この場所は、国道BR116号が開通する以前、蒸気船がリベイラ河を上り、日本移民がレジストロの町に最初に足を踏み入れた地点である。
レジストロ日本移民入植八十周年祭にこの鳥居を作る計画を協議中「神社が無いのに鳥居を作るのは可笑しい。皆さんに笑われない様にしろ」と或る古老は言った。「それでは、リベルダーデにある鳥居は何ですか。神社が無いようですが…」と言う意見があり結局造ることになった。
後で分かったことだが、橋のふもとから見ると鳥居を通して丘の上のカトリック教会が見えるではないか。
幸いにも最近、十年程レジストロは洪水に見舞われていないが、洪水時に鳥居の下の部分が水で隠れ、宮島の鳥居にそっくりの風景になった。日本移民上陸地点に建てられた我等のレジストロの鳥居、永久にその雄姿を誇り続けて欲しい。
(レジストロ=金子国栄さん)
パラグアイにもあった!=イグアス移住地
番外編
鳥居はブラジルだけじゃない――とばかりに立っているのは、ブラジル国境から約四十キロ、パラグアイ・イグアス移住地にある鳥居。
日本人会、日語校、文化交流センターなどの施設に囲まれた移住地の中央公園正面に立つ高さ七・五〇メートル、幅六メートルの鳥居は、今や同地のシンボルとして市民に親しまれている。
去る十年前の九八年、当時の市長、アントニオ・フロレンティン・フランコ・マルティネス氏が、コロニアの人達に敬意を表して建てたものだという。
今年で入植四十六年、八〇年から市制を施行しているイグアスは現在、人口約八千三百人で、うち約九百人(二百五十世帯)の日系家族が暮らす。大豆生産で知られ、今では太鼓製作工房や植林事業など、新しい顔を見せ始めている同地。四十周年の節目に始まった移住地の石畳舗装も徐々に進んでいるようだ。
これも鳥居?=南マ州カンポ・グランデ
沖縄そばの屋台でも有名な、南マ州カンポ・グランデのフェイラ。その入り口にあるのがこちらの鳥居。良く見ると、両側の柱部分が「箸」のようにも見える。同市の現市長が、「フェイランテの八〇%は日系人」とのことで、フェイランテの武運ならぬ〃商運〃長久のために作らせたものだそう。
日本荘の鳥居が市内初=日系の誇りもってくぐる=サンパウロ州サントアンドレー市
サントアンドレー市に鳥居が建立されたのは古く、一九五〇年より少し前であった様に思います。三好綱一氏の経営されていた日本荘に立派な石の鳥居があって、訪れる日系人の心に郷愁を感じさせておりました。
親しまれていた鳥居も日本荘の移転によって、現在はアルジャ市の日本カントリークラブの敷地内の日本荘に移されております。
また、姉妹都市の群馬県高崎市の名を冠した「サントアンドレー市高崎公園」内にも、二〇〇一年、立派な大鳥居が建立されました。サントアンドレーの日系人は、公園内にある、元内閣総理大臣福田赳夫氏揮毫の拓魂の碑の下に集まるたびに、大鳥居をくぐり、碑に日本人の誇りを持って生きることを誓っています。
(サントアンドレー文化協会 高原勝弘さん)
待ち合わせにピッタリ=日本料理店の軒先に=パラナ州クリチーバ市
レストランの入り口に鳥居を建てたのは、パラナ州都クリチーバにある日本料理店「TATIBANA」。完成したのは二〇〇三年一月のことだ。同レストランがあるのは市内の中心部。大きく目立つこともあり、市民の間では「鳥居の前で待ち合わせ」ということもあるそうだ。「ぜひお立ちより下さい」と関係者。