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編集部座談会「ざっくばらんでいこう」=独断と偏見で選ぶ=後世に残したい『コロニア文化遺産』

ニッケイ新聞 2008年6月20日付け

 第一回移民船笠戸丸がサントスに到着して百年。ブラジル日系社会(コロニア)は新世紀を迎えた。益々ブラジルへの同化が進んでゆく今だからこそ、何を残すべきかを考えたい。戦前・戦後の移民二十五万人、そしてその子孫らによる一世紀にわたる生活の息吹を掘り起こす百年企画だ。サッカー、アマゾン、カーニバルでは分からない日本移民を通したブラジルを知りたい人に本紙編集部が独断と偏見でお送りする『コロニア文化遺産』。

 さあ、ざっくばらんでいこう――。

座談会参加者の紹介
深=本紙の若き編集長。本業のかたわら、〃コロニア評論家〃として、百周年を機に集中する日本メディアへの対応に活躍。朝四時に起きてしまう習慣のため、夜のお酒のお付き合いで寝てしまうのが玉に瑕。
神=日系第二社会面デスク。邦字紙記者歴四十余年の大ベテラン。ともすれば感覚が乖離する移民読者と若手記者の調整弁的役割も果たす。
ま=日系社会面デスク。百八十五センチと長身のため、小柄な老移民一世への取材では、腰を痛めないようしゃがむことが多い。ビールとコーヒーをこよなく愛する。〇〇年来伯。
剛=ブラジル日本文化福祉協会(文協)とブラジル日本移民百周年記念協会を担当する。〃悪口〃に近い批判記事が多いため、一部からは蛇蝎のように嫌われており、「月夜の晩ばかりじゃないぞ」と言われたことを自慢としている。〇二年来伯。
池=虚弱体質のため「取材中に何かあっても診療を受けられる」からか、サンパウロ日伯援護協会を担当。一人の時間を大事にしたいが、誘われると断れない。パラナ州の日系移住地アサイで日系家族と正月を過ごしたことで人生観を変えられた来伯三年目の研修生。
坂=来伯二年目の研修生。本座談会では発言が少ないが、質はともかく、その体格とともに安定した量の記事を書く元野球部キャッチャー。好物は魚の頭。

【日本人墓地部門】

■移民の無縁仏を祀る―グァタパラ拓魂碑

グァタパラ拓魂碑

グァタパラ拓魂碑

深 百周記念ということだから、最初の移民船笠戸丸移民が入ったモジアナ線(サンパウロから北西百キロにあるカンピーナスからリベイロン・プレットまであった鉄道沿線を指す)のグァタパラから始めましょうか。
剛 二〇〇四年に小泉さん(純一郎、元首相)もヘリコプターで訪問したこともあって、勘違いされているんだけど、笠戸丸移民が入った「グァタパラ耕地」と、戦後に全拓連や海外移住事業団(現JICA)が一九六二年に造成した「グァタパラ移住地」は場所は近いけど別物。そこを踏まえた上で、耕地と移住地の両者を繋ぐのは、やはり「拓魂碑」でしょう。
ま そうそう。耕地の方にあった「なむあみだ佛」と彫られた石碑や遺骨を集めた無縁仏を祀る記念碑だよね。
剛 あれは移住地の十五周年事業で作った。第一回移民を、戦後の代表的移住地が顕彰しているという意味でも、コロニア文化遺産としては問題なく一級品でしょう。
深 その拓魂碑は文協の中に建ってるの?
ま 移住地の墓地の中にある。
剛 その墓地は、日本から来た人が見ると衝撃的かも。テーラ・ロッシャ(赤土)の大地に延々と広がるカンナ畑(砂糖キビ畑)の中に、日本語の墓石がいっぱい。墓の上に梟がキョトンとした顔して止まってたり、アルマジロの掘ってる穴もある。真っ青な空と相俟って、独特の風景を醸し出してる。まあ、日本人墓地といえば他もあるけど。
ま 一五年に建設された東京植民地(現在は誰も住んでいない消えた移住地)もグアタパラに近かったよね?
剛 モツーカ市とリンコン市に東京植民地に入った人の墓地がある。笠戸丸移民が入ったズモン、サンマルチーニョ、カナン耕地もあるし、モジアナ線は多いよね。〇五年にはマットン市でも非日系人が日本人移民の慰霊碑建てた。でもやっぱり、日本人墓地というと奥ソロカバナ(バウルーを始発とする鉄道線の延長にあるプレジデンテ・プルデンテ市を含む一帯)のアルバレス・マシャードが極めつけでしょう。

■コロニアの七不思議?―ア・マッシャード招魂祭

深 あれは本当の日本人墓地。ブラジル人が一人だけ入ってるけどね。
ま 何で非日系の人が入ることになったんでしたっけ?
深 ある日本人家族が強盗に襲われたとき、彼も巻き添えになったんじゃなかったかな。そういう事件があって一緒に葬られたという。
ま あそこは州のパトリモリオ(文化財)ですよね。
深 入り口には州って書いてるけど、国の文化遺産って言う人もいるからね。実際のところはどうなんだろう。
剛 墓地の入り口には、故人の名前を全部プラッカ(プレート)で記載してますよね。
深 あれはよく管理してる。毎年七月にやる招魂祭も、なんともいえない風情があり、たくさん人が来るよね。
剛 その時期って結構雨が降ることもある。でも、去年が八十七回目だったんですけど、なぜか、今まで一度も雨が降ったことがないっていうのも有名ですよね。
深 そしてお経をあげる慰霊祭の時間になると、これまた、なぜか無風状態になる。墓石に灯したロウソクが絶対消えないっていう。
剛 向かいの丘に旧日本人学校がある運動場があって、そこから墓地が見えるんだけど、数百っていう蝋燭が灯る幻想的な雰囲気がすごい。
ま それは文化遺産っていうか…「コロニアの七不思議」に近いものがあるね。
剛 霊がきたら風が止まって火が丸くなるらしいよね。だから、お仏壇のロウソク、作り物の電気のやつね、ポコッと丸くなってるでしょ。そういうことで「招魂祭」って命名は実に正しい。
深 そのロウソクを遠く眺めながら、盆踊りとかしてさ。すごい年期ものの舞台があるんだよ。そこで踊りとかを披露する奉納演芸会がある。
剛 あれはタイムスリップした気持ちになりますよね。あの舞台自体を含めた雰囲気がパトリモニオ。旧日本語学校も含めて絶対に残して欲しいコロニア文化遺産。
ま 神さんはア・マッシャードに行ったことありますか?
神 ない。残念ながら写真ばっかり。墓地でいえば、レジストロも印象深いよね。あそこは墓石が日本風。日本に行ったみたいで立派。
剛 その墓地と言えば、世界徒歩旅行家で岡田芳太郎の墓も立派だった。笠戸丸以前のいわゆる〃神代の時代〃に渡伯した人で、しかも三十数年間も歩いて世界を旅していた珍しい人。ちゃんと名刺に「世界徒歩旅行家」って刷ってある。
深 それって、今でいうバックパッカーの元祖だよね。というか、知られざる冒険家か。
剛 三三年にレジストロの小松旅館に着いたんだけど、その晩に亡くなった。旅館の主人が中心になって、地元コロニアが浄財を出して建立した。その小松さんが娘に「自分の家族だと思って大事にしなさい」って遺言残してて、まだ小松一家が岡田の墓を管理してる。まさに美談。

■赤土の荒野に映える墓地―平野植民地

プロミッソンにある上塚周平の墓を守る安永忠邦さん

深 平野運平の墓がある平野植民地にある墓地も日本人だけ。意外と知られてないけど、まわりが広々とした一角が塀で囲まれていて、まだ結構空いてるんだよね。
ま 深さん一区画買っとく(笑)? 剛さんは行ったことあるの。
剛 うん。何か、こう赤土の荒涼とした風景の中に建ってる感じのね。格好いいよ。
池 あの砂糖キビ畑の中に。周りはなんもなかったですよね。
深 入植初期にはマラリアで一年間に八十人も死んだ植民地。コロニア史に残る大事件が起きた場所だよね。あの頃から使ってた墓だとしたら、まさに歴史の一部といえる。
剛 その当時からじゃないですかね。戦前に住んでた人に取材したことあるけど、子供の頃、お通夜とか結婚式があると、最盛期は三百家族くらいあった植民地内の家に知らせに配ってて、「墓の前通るの恐かった」って聞いたよ。今は、十数家族だよね。あの移住地のリーダーで墓守役でもあった山下従良さんも亡くなった。
ま 墓を守っているといえばプロミッソンの安永忠邦さんでしょう。
剛 上塚植民地を造った上塚周平の墓を守っている。墓とは別に上塚修平広場もあって、観音堂とか俳号瓢骨の句が刻まれた「夕ざれや 樹かげに泣いて 珈琲もぎ」の句碑なんかもある。あそこは、移民巡礼には欠かせないコロニア文化遺産。
深 一カ所にいろんな記念碑がかたまっていて、裏にある運動場はなんと「コロニアの陸上発祥の地」。最古の運動会が開かれたとか。まさにコロニア遺産でしょ、あの公園は。上塚周平を直接知る忠邦さんから、昔の話を聞きながらあの公園を見るのは、最高の贅沢。

■コロニアのストーンヘンジ―アリアンサ

ま 一カ所にいろんな記念碑とかが集まっているというと、アリアンサはどうですかね。
神 そう、お墓じゃないけど、功績者の顕彰碑がある公園があるよね。
ま 第一アリアンサの入り口にある公園。
神 でもあれは有名な人物のものではない。現地での功労者なんだろうけど。
深 確かに。十個ぐらい建ってるしね。
剛 イギリスにある巨石群、ストーンヘンジみたいになってる。
深 (笑)たしかにあれだけ一カ所にたくさんの記念碑や顕彰碑がかたまっている場所は、ほかで見たことないよね。
剛 アリアンサといえば、やっぱりね、日本でも有名な弓場農場。

【踊り部門】

■踊る文化遺産―弓場農場

深 あれは動く文化遺産だよね。弓場バレエもあるし、踊る文化遺産って言っても良いよね。
剛 祈り、耕し、芸術する文化遺産。
池 行った事ないけど、どういうとこですか。
深 うーん、何がいいってあの食堂が趣あるんだよね、昔ながらの天井。
神 梁がが見える。
剛 タイとか、東南アジアの家みたいですよね。暑いからそうなるんでしょうけど。けどNHKも見れるブラジルの田舎っていう(笑)。
深 朝ご飯のとき、角笛でさ「ブオー」て鳴らすじゃない。雰囲気あるよねえ。
池 食事が美味いって聞きましたけど。
深 美味いねえ(しみじみと)。あの肉味噌がご飯と最高。
ま あの暑い気候の中で昼間は農業労働、夜はバレエの練習とかして身体を動かしているから、あのしょっぱさが美味。サンパウロで食い続けたら大変なことになるよ。確実に成人病。
神 弓場農場にはあの建物…何だっけ?
ま アリアンサ移住地の建設に携わった輪湖(俊午郎)記念館?
神 そうそう。
深 わざわざ移設したんですよね。あの輪湖さんが使った家を解体して運んで。あの裏庭は非常に文化的な感じがしますよね。
ま バレエ指導者、小原明子さんの夫、彫刻家小原久雄さんの彫刻もズラリとならんでいる。
深 武者小路実篤の「美しき村」をモデルにしたといわれるアリアンサだけあって、〃文化村〃としての雰囲気を今に残している一角。夕方になるとクラリネットとか、バイオリンの練習の音も聞こえる。田舎の風景の中で、一種独特なものがありますよね。
剛 それ、完全に童話の世界ですね。
深 輪湖記念館の中って、パソコンが置いてある。そんな童話的な不思議な空間だけど、静かな環境のなかで非常に仕事できる感じ。
ま 少なくともこの編集部よりはね(笑)。

■世界で唯一の盆踊り会場―ペレイラ・バレット

(ここで何故か高木ラウル社長乱入。紫蘇の葉を配って立ち去る)

神 (何事もなかったかのように)名物と言えば、常設の大盆踊り場があるよね。
深 ペレイラ・バレット(旧チエテ移住地)ですよね。四、五千人が入る。毎年六月にやってて、黒人や白人が踊りまくってる(笑)。まさに盆踊りを通した民族混合の図。
神 常設の盆踊り場だもんね。日本には絶対ないコロニアならでは。
ま 最近、ノロエステ連合の白石一資会長と話したんだけど、八月はアラサツーバ(多くの戦前移民が入ったノロエステ地方の中心地)の盆踊りが凄いらしい。今年は百周年を記念して特に凄いって言ってました。
深 その盆踊りに命かけるノリは日本にはないよね。その精神がベースにあるから、北パラナの日系の若者からは「マツリダンス」という新しい日系文化が生まれる。ロンドリーナ祭りとかでは、日本の流行歌に会わせて、盆踊り会場でパラパラみたいな振り付けで、日系非日系関係なく何千人かが踊ってしまう。

■「ええじゃないか」で日本精神発揮―ノロエステ

剛 しかし、アラサツーバを初めとするノロエステ一帯って、戦前の日本が色濃く残ってる特異な地域。今回も皇太子殿下のご訪問がないことを現地の人は、心から残念に思ってますよね。そこらへんの思いを込めて、百年祭では踊り狂ってほしいですよね。
深 幕末の「ええじゃないか」のように、百周年の節目に「アラサ(ツーバ)でも、ええじゃないか」って乱舞しながら、「次こそノロエステにご光臨を」って書いたお札をばら撒くとか(笑)。
ま サンパウロを練り歩いてほしいですよね。
深 二十一日のサンパウロの式典会場、サンボードロモにも「ええじゃないか」って踊りながら乗り込んでほしい。ノロエステの底力を舐めちゃいけない(笑)。あそこはもう精神自体がコロニア文化遺産だから。
剛 皇室は、ノロエステに昔は行ったの?
ま 五八年の三笠宮殿下一回だけだよね。プロミッソンの安永忠邦さんの次男修道さん(現パラナ州マリンガ市百周年担当局長)も子供の頃、「ミーカーサ、ミーカーサ!」って声援送ってたらしい(笑)。
深 ノロエステこそ、皇太子殿下が行ったら本当に大歓迎される。もったいないよね。
剛 全く現地のニーズを分かっていないですよね。我が編集部がご訪問先を決めたいくらいですよね(笑)。
深 決められたらだいぶコース変わるよね。
ま ものすごい強行軍を組みますよ。レジストロははずせない。
剛 今回の座談会のネタでも良かったね。編集部が決める皇太子訪問予定地、みたいな。
深 そんなこと言ってると、宮内庁から苦情がくるよ(笑)。

【建築部門】

■木造のガウディ――コクエラのお茶屋敷

神 由緒ある建物とかはどうかな。例えば、お茶工場とかね。
深 モジ・ダス・クルーゼス市コクエラにあるカザロン・デ・シャ(お茶屋敷)ですね。一見して「木造のガウディー」みたいな独特の雰囲気のある建物ですよね。和風建築のように見えるけど、実は基本的な工法はブラジル方式に基づいている部分が多いとか。いずれにしても和伯折衷の興味深い建物であることは間違いない。
剛 あれは八六年に、日系の建築としては連邦政府の文化財になってる。
ま 陶芸家の中谷哲昇さんが一所懸命に運動して残そうとしていますよね。

■天野氏唯一?の貢献―ピニャール移住地

深 コロニアの名所という意味では、ブドウで有名なコロニア・ピニャールにある天野青年図書館も入るよね。森の中に忽然と現われるログハウスみたいな図書館。アマゾンから持ってきた今じゃ伐採禁止の立派な木。その価値たるや、すごいと思うよ。
神 あれは大変なもんだよね。うん。
深 天野鉄人(リベルダーデに所有する土地の譲渡をちらつかせてコロニアを翻弄する東京在住の奇人)さんも、あれに関してだけは立派(笑)。
剛 入り口に「言葉を忘れた民族は誇りを失う」とか書いてますよね。
深 だけどあれ、本使ってる人少ないからね。貸し出し帳見たら週に何人だもんね。開館時間は、水曜日の正午から午後二時まで、とかね。
深 もったいよね本当。凄い量の本があるよ。リベルダーデにあったら、みんなどれだけ行くか。

■鳥居、資料館、灯篭流し―レジストロ

深 新年特集号でも全伯各地にある鳥居を大きく取り上げたけど、個人的にはレジストロの鳥居を推したい。この前、改めて見てきたけど、丘の上の教会も一望だし、あの眺めはちょっとない。非常に素晴らしい。
剛 あの教会の建設には、日本人移民が建設にかなり協力してるんですよね。鳥居のあるリベイラ沿岸はコロニア文化遺産認定でしょう。今は移民資料館になってる旧海外工業株式会社(KKKK)、ブラジルを代表する芸術家、大竹富江さんのオブジェもある。
ま 十一月にある灯篭流しも無形文化だよね。二千基が流されて、花火も上がるし、一万人を動員する地元に根付いた日系イベントですよ。五十回以上になるしね。

■日本にもある移民建築―レジストロ

レジストロのお寺

深 レジストロっていえば、日本移民が建てた二階建ての家があちこちにあったことも有名。笠戸丸時代に来ていた移民の大工さんがコンデ街にたむろしてたのを揃って入植させた。腕の良い大工が多かったらしく、立派な建物が建ってる。不思議な移住地だよね。
神 寺大工が建てたあのお寺も立派だよね。腕のいいのが建ててる。
剛 まだ残ってる家は、レジストロの名産であるお茶の博物館になる計画もあるらしい。そういえば、一軒丸ごと日本に持っていったものが愛知県犬山市の明治村にあるでしょ。
深 そうそう。あれ日本の文化財になった。指定された時の新聞記事も読んだよ。ブラジルで日本人が建てた家が日本に持っていかれて文化財になったっていうのが面白い。
剛 見る人には、その背景にある民族的ドラマに想像逞しくさせて欲しいですね。
深 もちろん、デカセギの人たちにもね。

■城建造で町おこし?―アサイ植民地

剛 そういえば、アサイには城を作るんですよね。
池 もう設計図は出来てるんですけど、お金も大方ルアネー法(企業が文化事業に所得税の一部を充てることが出来る寄付免税制度)が通ったとか。建設地がセントロ(中心部)の小高い丘なんでけど、携帯電話の塔が建ってるんですよ。これをどかさないと…。その中にはお土産屋さんとか茶室、図書館、多目的ホールや資料館などを設けるらしい。
剛 アサイ煎餅か饅頭でも作って売るかね。
池 いやいや(笑)。でも天守閣から、アサイの絶景を楽しめる。絶対、北パラナ有数の観光地になりますよ。
剛 でもパラグアイにある前原城はそこまでの観光地になってない。まあ、あそこはアスンシオンから離れてるからね。
ま 本当に城下町みたいですよね。城の下に従業員たちの家がいっぱいあって町みたいになってる。

■旧グァタパラ耕地がコロニアに!?

ま この間グァタパラに行って、コロニアに寄贈されるという耕地を見て来たんですけど、本当に兵どもが夢の後…。十年ぐらい前までまともな建物あったらしいですよ。それをここ何年かで一気に解体してしまったらしくもっと早く手をつけていればね…。シネ・グアタパラっていう映画館跡とコーヒー精製所、ファゼンデイロ(耕地主)の邸宅の門があるくらいかな。
坂 学校の跡地もありますよね。
剛 勿体無いよね。石畳も当時のまま。笠戸丸移民たちがコーヒーもぎの行き帰りに歩いた石畳と思うんですよ。あんなの残せば「移民の道」っていう名所になりますよ。それいうなら、ブラジル全土にあるんだけど。整備して「笠戸丸移民入植の地」っていう観光地にできそうだけどね。
ま 可能なんだろうけど契約上、改修しないといけないらしい。それだとグアタパラ文協だけでは無理だし。かといって百周年協会にも頼んで、いまさら百周年事業に入れるかというと難しい問題だよね。

■残すには情熱が必要―旧サントス日本人学校

サントスの旧日本語学校

ま 建物繋がりでいけば、サントスの日本語学校ははずせない。
深 サントス日本人会の会長を長年務めた上新(かみ・あらた)さんの怨念が積もり積もってる。パウリスタ新聞(ニッケイ新聞の前身)の頃から何度か取材に行ったけど、毎年のように返還運動のために来社してた。あれぐらい執念燃やしてやる人がいないとダメ。
ま 署名活動するくらいだったから、運動自体が風化しなかったんですよね。日本人会の理事会が変わったらち方向性を変えたり、元サントス市長だった連邦議員を通して、とか手を変え品を変え。領事館の草の根無償資金も出たし。
深 パウリスタ新聞に記事にしたときとか、誰もそんなことが実現するとは思わなかった。それが百周年で返還、日本人会館に生まれ変わった落成式には皇太子殿下がご出席すると。色んな意味で慰められる霊も沢山いるんじゃないかな…。
ま 霊って…学校ですから(笑)。ともかく返還の時も沢山の人が来てたけど、今回も元生徒がいっぱい来るだろうね。
深 あの建物で生まれた援協の森口イナシオ会長とか、感慨深いだろうね。

【日本食部門】

■マンジューバの刺身―レジストロ

レジストロ名物マンジュ-バの刺身とフライ

深 レジストロとかリベイラ沿岸といえば、マンジューバの刺身が美味しい。厳密にいえば、酢で〆てるから、刺身じゃないけど。
ま マリネ? 酢漬けみたいでビールにも合う。
剛 やっぱり日本的感覚でいえば、露天風呂でもあって、リベイラ河が見える高台でマンジューバの刺身をつまみながら地元の特産ピンガ(さとうきびの焼酎。カシャッサとも)でも、みたいな併せ技があったほうがコロニア文化遺産として認定しやすいね。
深 レジストロに温泉があったら完璧。掘ったら出てくるんじゃないの?
ま 根拠のない、希望だけの発言は慎みましょう(笑)。

■ブラジル流沖縄ソバ―カンポ・グランデ

神 他にコロニア独自の食べ物ってあったかな。
剛 それで言えば本当に南マット・グロッソ州の首都カンポ・グランデ市の無形文化財(〇六年)になってる沖縄ソバ。
深 昔はさ、道端を閉鎖して、夜にフェイラ(青空市)みたいにやってたんだよね。普通のフェイラは朝から昼までだけど、あそこは昼間は暑いから、夕方から真夜中までやる独特なフェイラだった。
ま 屋台通りみたいに?
深 沖縄ソバの屋台がずらっと並んでて、ブラジル人がみんなフォークで食べてた。
坂 どういう位置付けなんですか?
深 主食よ完全に。家族連れとか恋人のデートコースのような感じ。今は建物に入ったから完全に地元料理になった。
ま 南マット・グロッソ料理の店として、サンパウロにも進出してきたし。
池 六五年頃に初めて沖縄ソバ屋を出した勝連ひろしさんに取材したんですけど、当時はかまぼこをフライにして乗せただけ。今の肉をたっぷりのスタイルとはやっぱり違うみたい。
ま 完全にブラジル化した沖縄ソバだもんね。
剛 ヴィラ・カロン(サンパウロ東部の地区)とか沖縄系の人が多いところは、カラオケとかでも普通にあるらしいね。

■婦人部の名物料理

ま 名物料理といえば、聖母婦人会の慈善バザー名物の福神漬けは最高。
深 ほんとだよね。個人的には、ソロカバ文協婦人部名物の餃子汁もなかなか美味いと思う。あと、甘党としては、エスペランサ婦人会の「あんみつ」も抜かすわけにはいかない。というか、エスペランサの食べ物はまず外れがない。
剛 農協婦人部連合会(ADESC)のラッキョウは絶対買うね。
坂 あと毎年七月の県連の日本祭りでも、郷土料理のオンパレードですよね。胃が十個ぐらいほしいぐらい(笑)。
深 ほんとあの時ほどの食い道楽はない。よく日本から来た人とも話すんだけど、日本国内でもあれだけ各県の郷土料理が一堂に会する機会はないみたい。各県人会の婦人部が総動員で味を競うから、凄いことになる。それがブラジルで、しかも民間によって行われる。これはまさにコロニアパワー炸裂状態でしょう。
ま そうそう。それと、忘れてはいけないのは沖縄県人会の協和婦人会の沖縄ソバもおいしい。これはもうコロニア食遺産。あと、沖縄食といえば、毎年ある「沖縄祭り」で屋台が出るヒージャー汁(山羊汁)でしょう。
剛 ものすごい精力がつくんですよね。ヨモギと一緒に食べると最高。でも沖縄ソバと違って、ブラジル人は誰も食べてなかったね(笑)。

■鯉料理、鶴の卵―バストス

深 バストスの鯉こくって美味しいらしいね。誰か食べた?
神 食べた。
深 どうですか?
神 生臭いのが嫌いな人はだめだよね。魚ならなんでもこいっていう魚好きにはいいよね。洗いもあるよね。
剛 なんで鯉が有名だったんですか?
神 あそこはつまり、養殖した人がいたっていうことだろうね。
剛 今はどうなの?
深 養殖ではないけど、大野さんって人がまだやってる。そういえば、卵の町のバストス銘菓「鶴の卵」ってまだあるんですかね。
神 あったね。
深 久しく食べてけど、まだあるのかな。小さな真っ白なマシュマロの卵みたい。今こそ是非売り出してほしい。
神 一時期サンパウロにも出てきたけど、とんと聞かないね。
ま 魚でいえば、インテリオール(内陸部)では、チラピアとかを普通に食べてるからね。川魚は刺身にしないという日本の常識を覆してますよね。
剛 鱧みたいに骨切りして食べる魚もあるよね。

■日本より美味、大豆製品

ま 弓場とグァタパラが出てきたけど味噌が美味しいよね。
剛 これは圧倒的に日本で普通に買う味噌よりおいしい。昔ながらの製法なんだろうね。
ま 豆腐もそう。基本的においしいよね。大豆製品は。
深 「昔豆腐」とかいうんですよね、コロニアのスタイルは。だから大豆の味が濃厚。種類も多いし、沖縄豆腐も普通に売ってる。あれは、間違って落としても崩れない(笑)。すごいよね。あと、お揚げはイグアスー移住地が最高だとおもったねえ(しみじみと)。
剛 …それパラグアイじゃないですか。国境越えてますよ(笑)。

■もう消えた?日系旅館

剛 イグアスーで思い出した。文化遺産じゃないけど、日本人旅館っていうのも昔結構あったんでしょ。イグアスーには今二軒あるのかな。朝にご飯、味噌汁、ソーセージエッグ、漬物が出てもう感激。関係ないけど、旅館の従業員がドイツ系の超美形。あれじゃ、朝ご飯に集中できないですよ。
深 (無視して)旅館じゃないけどアスンシオンの内山田ホテルも、値段が手軽な割に日本食朝ご飯が充実していて最高。秋篠宮殿下ご来パを取材に行った時、何気なく朝ご飯食べに行ったら、在日パ大使の田岡功さん(パラグアイに帰化し、大使として日本へ赴任)がいた。大使クラスだったら五つ星ホテルに泊まりそうなものだけど、やっぱりあのサービスには代えられない?
剛 さて、もう一回国境を越えますか(笑)。そういえばサントスの潮旅館、三笠旅館…。リベルダーデも一杯あったでしょう。
神 ビアジャンテ(移住地を回る行商人)と共に消えた感じ。旅行に行っても、ちょっとしたホテルに泊まるしね。そう意味では、いわゆる旅館は無くなったよね。
深 旅館て言ってもこっちの建物でベットですよね。畳敷いているわけじゃないでしょ。
剛 神さんが地方を取材してた六、七〇年代とかは、そういうところに泊まってたんですか。
神 バストスで言えば、宇佐美旅館とかね。望めば朝飯も和食だった。ノロエステも多かったね。
剛 日系旅館は今どうなってるんだろう。調べたいですね。
神 昔ながらのスタイルはもうないだろうねえ。

【景勝地部門】

■風光明媚な移住地

神 移民が絡んでる風光明媚な場所とかはどうかな。サンタ・カタリーナ州のラーモス移住地の農村風景は綺麗だよね。
深 確かに風光明媚ですよね。加えて、オーストリア人移住地やイタリア人移住地がそれぞれの文化を特色に村興しをしてる。ラーモスも日本村として張り切ってる。季節によっては梨とか桃とかの果物も楽しめるし。
神 そうそう。ブラジル社会に飲み込まれていなくて、日系色がうんと強い、そういう移住地。
剛 ラーモスは八十家族くらいだけど、小粒だがピリリと辛い山椒のような存在。移住地の奥にある長崎平和の鐘公園も、とてもいい。クリチーバ市の公園を中心とした都市設計で有名な中村矗(ひとし)さんが協力しただけあって、洗練された感じがする。
深 七月には八角堂のイナウグラソン(竣工式)もして「日本村構想」に向かってまっしぐら。まさに観光農村への道を歩んでいる。
ま サ・カタリーナ州でいえば、雪が降るので有名なサンジョアキン移住地の林檎園や集荷地を含めた全体の風景は美しいですよ。坂も多いし。

【おまけ部門】

■点在するプチ文化遺産

ま さっき言い忘れたけど、バストスって警察署前に憲兵隊=写真=って書いてる見張り台?があるよね。
剛 憲兵隊っていう文字が公的な場所で見られるのはバストスだけ! 間違いなくコロニア遺産。絶対に撤去しちゃダメ。
剛 そういう細かいものでいえば、リベルダーデ大通り沿いのビルにある山形・宮崎両県人会の巨大な看板。初めて見たとき衝撃だったけど、無くなったよね。
ま ジルベルト・カサビ市長のシダーデ・リンパ(サンパウロ市で施行された看板などに課税する美化条例)でやられてしまった。
神 やっぱ美観損ねてたんだろうね(笑)。
剛 無くなったことに気付いたとき、看板欲しいってすぐ言いに行ったんですよ。そしたらもう持って行かれたって(残念そうに)
ま 剛さん、広島出身なのに何で山形とか大分県人会の看板が欲しいの?
剛 家の外壁にかけたらアートっぽいでしょ。
(一同無言)

【東洋街部門】

■コロニア最大の遺産?―リベルダーデ

リベルダーデ東洋街の象徴、大鳥居

剛 ま、それはともかく、ブラジル日系社会最大の文化遺産といえば、サンパウロ市の観光地区にも制定されているリベルダーデだけど…。
深 文協の建物もお色直したけど、土台が変わっていないからね。
深 神さんが来られた時から文協の建物は建ってたんですか?
神 あったあった。
ま 四階くらいまで、五階くらいまででしょ。
神 そのあと継ぎ足した。
剛 ガルボン・ブエノ街側から見ると、のっぺりと灰色で怖いんだよね、文協ビル。でも、あそこいい広告スペースだと思うよ。「文協会員募集」とか「USP名誉教授 上原幸啓」とか(笑)。
ま 昔、屋上に日本庭園があったでしょ。
深 そうそう。池もあって錦鯉が泳いでたとか。
ま その上に九階乗せるから、なくなったと。
深 ブラジル日本移民史料館九階の展示パネルの裏に窓があるんだけど、結構眺めいい。
剛 リベルダーデを一望できる。まあ見えるもので綺麗なものないけど。
深 展望台にすればいいのにね。カフェが飲めるようなね。
ま 夜は酒場に早変わり。宮城県人会の屋上で金曜日の夜やってるみたいなの。一世の宮城、二世の文協みたいな、ね。

■地元日系人の意気込み

深 今そうやって残ってるところとかコロニアが作った風景とかって、当時の人たちの情熱があったところなんだよね。
剛 (挙手して)それについて一言言いたい。レジストロで近岡マヌエルさん(市議を四期務めた。市の元観光局長)が連れて行ってくれたんですけどね。茶畑から見る夕日の美しさには心震えましたねえ…(遠くを見つめながら)。
深 レジストロの風景を変えた日本の農業。それを美しい夕日の中で…って感じ?
剛 それとね、大事だと思うのは、現地の人の心意気。「綺麗だろう、すごいだろう、これが俺たちの町だぞ、これを俺たちは残すんだぞ」っていう強い意気込みを感じたもの。その前に他の取材にも連れていってくれたんですけど、何か急いでた。「何を急いでるんだろう?」って思ってたんだけど、最後に夕日を見せたかったっていうオチだったから、さらに感動してね。
深 せっかくサンパウロから来たんだから、茶畑から沈む夕日を見て欲しいと。
剛 なんて気が利く分かった男なんだ、と。是非、次期レジストロ市長に推したいね(笑)
ま でもそういう残していこうって気持ちはすごく強いよね。日本人より強く感じてるんじゃない。その気持ちをこれからも引き継ぐかっていうのはまた別問題だけど。
剛 だからね、先祖が作ったものを知ろう、守ろうっていうのが大事なんじゃないか。今回の百周年の日本ブームだって、他民族系コロニアと比べて、オリジナル文化が残ってるところ、その違いそのものが認められてるわけだから。
深 そういう移民のルーツや文化を残そうとする気持ちこそが遺産。
ま つまり根っこが大事ってことですかね。とりあえず、暫定「コロニア文化遺産」は、無形だけど、移民のルーツを忘れない精神ってことですかね(一同納得)
神 うん、決まりだね(キッパリ)。

二〇〇八年六月十日収録