ニッケイ新聞 2013年11月30日
喜劇俳優、テレビ司会者、作家、脚本家、ミュージシャン、造形作家と多彩な才能で知られる75歳のジョー・ソアーレスは、ブラジルの著名人の一人だ。
リオ生まれで、リオでも有数の優秀私立校のサンベント校出身。幼少時は外交官を目指していたジョーだが、子供時代からその天性のユーモアや創造性を発揮。周囲の勧めで方向転換し、後に役者、芝居の演出、執筆活動、ラジオなど幅広く活躍するようになった。
ジャズの愛好家で、ポルトガル語に加え、英、仏、伊、西、独の六つの言語を話すインテリ。複数の女優との結婚、ロマンスを経験するなど華やかな私生活でも知られる。
1959年から現在まで、俳優や監督、脚本家として映画製作に関わり、テレビドラマにも多数出演。作家としては85年に処女作を刊行して以来、社会派の作品も発表している。
そんなジョーだが、国民にとってはテレビ司会者としての姿が最もなじみがある。特に有名なのは自身の名前を冠した深夜のトーク番組「プログラマ・ド・ジョー」だ。著名人や話題の人を招いてインタビューし、その間、生演奏の音楽ショーなどを織り交ぜるそのスタイルは、米国のトークショー番組「レターマン・ショー」にそっくりだ。
もともと1988年に始まったSBT局の番組「ジョー・ソアーレス・オンゼ・エ・メイア」で話題性のあった人物を呼んでインタビューをしていたジョーは、番組開始から25年に至る現在までに、1万4千人に会ったという。
6人編成のバンドが演奏する合間に、豊満な体を揺らしながらスーツ姿で登場し、ガラス張りの壁にそびえる都会の夜景を背に、ゲストをソファに座らせる。自分はすぐ横に腰掛け、皮肉たっぷりの辛口トークで生き生きとインタビューし、寛いだ雰囲気を作り出す。ジョーの隣に座った人々にはサルネイ、コーロル、フェルナンド・エンリケ、ルーラ、ジウマなど歴代と現在の大統領、米国の女優シャーリー・マクレーン、イギリスの歴史家エリック・ホブズボーム、経口ポリオワクチンを開発したポーランド系米国人のアルバート・サビン医師など、錚々たる面々がいる。
既にメディアでリポーターとして働いた経験をもとに、徐々にインタビューの技術を磨いていったジョーは、初期の頃はよく観客やゲストを驚かせる手法を取った。有名なのが、89年の大統領選挙戦候補でもあった政治家で心臓外科医のエネアス・カルネイロに、自分に検査を施すよう番組中に依頼したこと。そこから、その年の選挙に立候補していた政治家はほぼ全員が番組に呼ばれ、政治談議の場となったが、当時候補者の一人だったコーロル元大統領は質問に対し、ジョーではなくカメラ目線で答えると言って聞かなかったために、番組内でジョーから叱責された。
SBT局での2309回の放映の中で6927人にインタビューした後、2000年にグローボ局の「プログラマ・ド・ジョー」に移行。SBT時代よりも少しスタジオ内が快適になり、観客席も広くなった。
「観客の存在は必須。理想のインタビューの空気に近づけることができるから」。視聴者からの反応も大きく、番組ごとに平均1500通のメールが届き、賞賛や批判、提案などのコメントが寄せられるという。
ルーラ前大統領には13回もインタビューしたが、14回目が実現しなかったのは、ルーラ氏が約束を破って別の番組に出演したから。
そんな数え切れないほどの著名人に会ったジョーだが、唯一インタビューが実現していないのが、大御所のテレビ司会者で企業家のシルビオ・サントス(82)。25年の間に2度招待したが、「もし受けたら、他のあらゆるジャーナリストの取材を受けなくてはならなくなる」と断られているそうだ。(24日付エスタード紙より)