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ブラジル政治の基礎歴史=(5)=若い力に託した89年大統領選=コーロルがルーラ振り切る

ニッケイ新聞 2013年9月6日

 1989年12月、国民の長年の願望であった大統領の直接選挙が復活した。民主政復活最初の政権だったサルネイ政権がハイパー・インフレを記録したこともあり、国民の新大統領にかける期待は高かった。
 この民主政移管後初の大統領選では、ブラジルの政治史に名を残す政治家たちが次々と名を連ねた。1964年の軍事クーデターで失脚したジョアン・グラール大統領をかくまったことで知られ、みずからもウルグアイへの長期亡命を行った反抗の政治家レオネル・ブリゾラがリオ州知事(一次投票3位)、新党のブラジル民主社会党(PSDB)を興したばかりの元サンパウロ市長(1983〜85)で当時上院議員だったマリオ・コーヴァス氏(同4位)、前回選挙でタンクレード・ネーヴェス氏に敗れたパウロ・マルフ氏(同5位)、与党・民主運動党を結党当初から支えた重鎮ウリセス・ギマランエス氏(同7位)など。
 だが、そうした錚々たる有力者に勝ち、決戦投票に駒を進めたのは共に40代の若手政治家だった。1人は当時40歳のフェルナンド・コーロル・デ・メロ氏、もう1人は44歳だったサンパウロ州下院議員ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ、通称ルーラ氏だった。
 コーロル氏は北東部アラゴアス州の知事から若くして出世し、87年にPMDBから離党して国家再建党(PRN)を結党。若さから前途を期待され、当時凛々しかった容姿に一般層の関心がひきつけ、さらにサルネイ前大統領の支持を引き寄せることにも成功したことで、大統領選挙を有利に進めた。
 一方ルーラ氏は、義務教育を小学校までしか受けておらず、10代から工場労働者として働くうちに、組合運動家として頭角を現した。やがて労働者たちのカリスマリーダーとなった。1980年の多党制以降をきっかけに、労働者や学生運動家たちと共に労働者党(PT)を結党した。
 結党当初は、みずから82年のサンパウロ州知事選挙に出馬して惨敗し、86年の下院議員選挙での議席数も、1位のPMDBの10分の1にも満たない16人で、6位の中規模政党に過ぎなかった。
 そんな中、大統領選挙に出馬したルーラ氏は、「顔中ひげだらけの左翼リーダー」というイメージで強いインパクトを国民に与え、一次投票ではマリオ・コーヴァス元サンパウロ市長を上回る得票を獲得するなど健闘した。だが、直前に発覚した隠し子問題なども足を引張り、決選投票は49%対41%と接戦ながらもコーラル氏の前に敗れることとなった。