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ロック・イン・リオ開幕=(1)=ブラジル最大の音楽の祭典=その歴史的成り立ちとは?

ニッケイ新聞 2013年9月13日

 9月13日より、13〜15日、19〜22日の日程で、ロック・イン・リオ2013が開催される。発券された45万枚は発売直後に完売となるなど、ブラジル国民注目の音楽イベントとなっている。

 ロック・イン・リオがスタートしたのは1985年10月で、初回イベントは80年代のブラジル文化を代表する一大イベントとなり、現在も語り草となっている。
 それには時代的な伏線もあった。80年代という時代は、ロックが第2、第3世界へ波及していた時代だった。60〜70年代前半、ロックはアメリカやヨーロッパで、ベトナム戦争などに反対する反社会的な若者たちに熱狂的に支持された音楽だった。だが、ベトナム戦争が終わると反戦運動も一段落。泥沼化した同戦争や出口の見えない反戦運動には脱力感やしらけムードが漂い、人々も現実を直視するよりは楽観的で華やかなものを求めた。そしてロックもそんな世の動きに追随した。
 だが、アメリカやヨーロッパがそうであっても、他の地域にはなお、過酷な現実から自由を求めて戦っていた人たちがいた。ソ連や東ヨーロッパでは共産主義の独裁者の矛盾に国民が異議を唱え初めていたし、南米では反共の右翼軍事政権の独裁政治が破綻を迎えていた。そんな中、ブラジルでも85年3月に軍事政権が終結し、民政移管が行われた。
 そうした地域では、ロックが「自由の象徴」として好まれた。それはこの時代に第2・第3社会で大規模な歴史に残るロック・コンサートが行なわれたことからも明らかで、ロック・イン・リオはそうした傾向の先陣を切ったものだった。
 このときのイベントにはクイーン、AC/DC、アイアン・メイデン、ロッド・スチュワート、オジー・オズボーンなどが参加した。当時から人気の高いアーティスト揃いだが、約30年後の現在では、伝説級の存在ばかりだ。
 それに加えてブラジル側からもパララマス・ド・スセッソやカズーサ率いるバラオン・ヴェルメーリョ、キッジ・アベーリャ、ブリッツといったブラジリアン・ロックのブームの立役者たちが出演。彼らもまたブラジル音楽史に新たなページを書き加えた。
 このときのロック・イン・リオは10日間開催で、計140万人を動員することに成功。これはひとつの大きな文化現象として世界にも打電された。
 これ以降、ロック・イン・リオは不定期で開催されるようになり、1991年、2001年、2011年とほぼ10年おきに行われるようになった。11年をきっかけに開催間隔は2年に縮められ、13年、通算5度目のロック・イン・リオが開催されることとなった。