ニッケイ新聞 2013年9月14日
9月11日、チリではアウグスト・ピノチェト大統領がクーデターを起こし軍政を開始して丸40年の月日が経過した。そして、その影響は、この11月に行われる大統領選にも及んでいる。
1990年3月にピノチェト氏は大統領の座を降りた。在任中の死者・行方不明者は4万人を超えていたが、チリ当局がピノチェト氏を罰することはなく、同氏は陸軍総司令官、終身上院議員としてその後も影響力を保持していた。
98年、病気療養で英国に渡った際に、チリ在住のスペイン人を虐殺した容疑で同国の司法命令によって逮捕された。04年にはチリ国内でも大統領時代の虐殺の罪で告発されたが、いずれも健康状態を理由に不問となり、2006年、91歳でこの世を去った。
チリ国内の政権は、ピノチェト氏の大統領辞任後、中道左派政党連合の「コンセルタシオン・デモクラシア(民主主義のための政党盟約)」の手に移った。同連合に属する政党で、ピノチェト氏のクーデターで大統領の座を追われたサルバドール・アジェンデ氏の所属政党だったチリ社会党のミチェル・バチェレ氏が2006年に大統領に就任した。
だが、交通政策での失政などでミチェル氏の支持率が落ちたことで10年の大統領選の出馬を見送ったところ、後任候補が中道右翼連合「変革のための同盟」の候補だったセバスティアン・ピニェラ氏に敗れ、政権が20年ぶりに右派に渡った。この与党連合の最大政党である独立民主連合はピノチェト氏と蜜月関係にあった政党として知られている。
チリではこの11月、次期大統領選挙が実施される。野党側は国民から高まる復帰論に推される形でミチェル氏を擁立。与党側は、経済成長で成果をあげたが国民に不人気だったピニェラ氏に代わり、独立民主連合のエヴェリン・マッテイ氏を擁立してきた。
これは40年前のクーデターにまでさかのぼる因縁の対決だ。それは両氏の父親が、40年前に対峙した人物だったからだ。ミチェル氏の父で空軍少将だったアルベルト氏は、アジェンデ大統領側についていた人物として、クーデター後に拷問を受けて獄死した。その当時、アルベルト氏らが拷問を受けた空軍学校の校長を務めていたのがエヴェリン氏の父親のフェルナンド氏で、後に空軍将軍に昇格、ピノチェト政権の保健相も務めた。
ミチェレ氏はフェルナンド氏が父親への拷問に関わっていたという疑惑を否定しているが、アルベルト氏と共に拷問を受けた元空軍中佐のエルネスト・ガラス氏は、「空軍学校校長が拷問のことを知らなかったはずはない」と主張している。