ニッケイ新聞 2013年9月14日
日本は今が秋。山の幸も海の幸もいっぱいあり、しかも美味い。佐藤春夫は「あはれ 秋風よ 情あらば伝えてよ —男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食らいて 思いにふけると」と「秋刀魚の歌」を詠み、学生の頃にちょくちょく通った寄席では落語の「目黒の秋刀魚」に笑い、武家社会の下らぬ仕来りを燻し銀のように批判する落語家の噺を肝にしっかりと打ち込んだりもした▼「荒海の秋刀魚を焼けば火も荒ぶ 瓜人」。秋刀魚は秋の味であり、塩を振って煙が朦朦と立ち上るのと闘いながら焼き上げたのが美味く、秋の夜空を眺めながらの口福は堪えられない。醤油と酒、味醂で煮込んだのもいいが、やはり塩焼きが一番。近頃は「刺身」があって人気が高いらしいけれども、まだ口にしたことはない▼筆者がその昔に移民船に乗り横浜港を解纜した頃には、今のような品質の良い冷蔵庫が普及していなかったし衛生上の問題があったのに違いない。さて、ブラジルにはない秋の味覚ながら—秋刀魚は9月に根室沖、10月には金華山沖,銚子沖は11月と南下し紀州沖にも到る。江戸時代には、下衆の食べる下魚とされ殿様や高禄の武士の食膳には乗らなかった▼ところがである。ある殿様(将軍徳川家光とする落語家もいる)が、目黒で食べた秋刀魚の味が忘れられないの噺が「目黒の秋刀魚」なのであり、先日、宮城・女川漁港に70トンが初水揚げされたそうである。あの脂の乗った魚体と鮮やかな銀色を思い起こすだけで胃の腑が泣く。そして七輪に炭を起こしての塩焼きの味が舌に広がる楽しみが何とも懐かしい限りである。(遯)