ニッケイ新聞 2013年9月24日
勝ち負け騒動の話は、これで終わりというわけではない。ほかにも不祥事が発生していた。詐欺である。戦勝説を利用した手口で、戦後十年の間に、何件も起こった。(これも拙著『百年の水流』改訂版と、趣旨が重複する)
時局便乗詐欺
その何件もの詐欺とは、捏造戦勝ニュースの販売、帰国のための嘘の乗船斡旋、偽の乗船券の販売、南洋(東南アジア)の島の架空の土地の分譲、円売り……つまり価値を喪失していた旧円紙幣の販売、愛国団体を装っての募金、半ば狂的な団体の帰国を餌にしての会費・寄付金集めなどである。
挙句のはてには、日本の皇族を騙(かた)って金品から娘まで献上させるバケモノも現れた。
その詐欺師たちは、いずれも、素朴に祖国の戦勝を信じ帰国や(一旦帰国後の)再移住を願望する人々を標的にした。
時局便乗詐欺と呼ばれた。
ともかく詐欺師という連中は、よくまァ、色々と悪知恵を働かすものだ……と感嘆するほどである。それと、この詐欺師連中、移民に紛れ込んで移住してきていたことになる。
で、まず、その詐欺であるが。──
捏造戦勝ニュースの販売は、初めは、既述の正体不明のラジオ放送が流す戦勝報を、謄写版刷りのビラにして売っていた。そのうち、日本の敗戦を報ずる新聞・雑誌の記事や写真を改竄して、戦勝報にでっち上げるようになった。
しかし、これは、そういうことがあったという──記事やビラの写真を掲載した──資料類が、残っているだけである。 その資料類は、犯人や被害の詳細には触れていない。
次の嘘の乗船斡旋は、例の「日本から迎えの船が来る」という噂を利用、その船に乗れるよう世話をすると言って、手数料をとった。
偽の乗船券の販売は、戦時中、閉鎖されていた大阪商船サントス事務所に保管されていた(日本向け航路の)乗船券を売った。事務所から盗み出したものであろう。
いずれも川崎三造という有名な詐欺師が操っていた……と語り伝えられている。その川崎や仲間らしい男達が、地方で警察に逮捕されたという記事が、当時の邦字新聞に出ている。が、続報は見当たらない。
彼らが起訴され、有罪判決を受けた形跡はない。
ただ、この件に纏わる噂話は幾つかある。例えば、サンパウロに近いある市では、偽の乗船券を買わされた被害者の家族が、それを未だに捨てずにおり、それは一カ所や二カ所ではない、といった類いの……。(筆者が調べようとすると、地元の日系社会の指導者格の二世某氏が、激しく拒否した。どうも、伏せておきたい、という配慮のようであった)
以下は、詐欺師たちがつけこんだ「帰国願望」の参考材料として記すのだが。──
終戦後数年、日本からの迎えの船を、サンパウロやサントスで待ち続ける人が絶えなかった。その様子を記した次の様なメモが、サンパウロの文協の移民史料館に保存されている。(カッコ内は筆者註)
「いゝ年頃の夫婦が子供四人を同伴して某旅館に滞在してゐた。…(略)…見るからに奥地で百姓をしてゐる人だといふことが判る。
聞けば、パ延長線の人だそうだが、数日後に日本船が着くといふ話に取るものも取り敢えず、ブーロ(ロバ)や農具を整理し家財道具も二束三文に売り払って…(略)来ていると…(略)…(私は)知己からも、これと同様な話を数多く聞いた…(略)…」
筆者は、2009年末、ロンドリーナで、移民史に詳しい沼田信一という90歳になる老人に会った。その時、この老人は、こんな話をしていた。
「終戦後、サントスに行ったことがあるが、日本から迎えの船が来る、というので何カ月も待っている人々がたくさん居た。
数家族が小さな家を借りて、一緒に住んでいた。横になって寝ることも出来ない窮屈さだった。その一家族、私の知合いは、子供に新聞配達などをさせて、細々、生きていた」 (つづく)