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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(57)

ニッケイ新聞 2013年8月2日

 認識派史観の起源

 事件は、ポルトガル語の新聞が、その日の夕刊から、デカデカと報道、以後、連日、それを続けた。
 記事は「日本の戦勝を狂信する秘密結社臣道連盟のトッコウタイが、敗戦を認識する同胞の殲滅を謀った」という趣旨であった。
 ここで、ブラジル日系社会史上、初めて、しかも突如、臣道連盟だのトッコウタイだのという名称が、表面に現れている。何故なのかは、後でユックリ考える。
 当時のサンパウロ市内は、昨今とは違って、平和であり、大事件は少なかった。報道に接した市民は衝撃を受けた。なにしろ、突如、外国人の秘密結社、テロ団が暴れ出した──というのである。
 トッコウタイという言葉からは、誰もが、前年の8月まで体当たり攻撃を敢行し続け、世界中を驚かしていた日本軍の「特攻隊」を思い浮かべた。
 事件はポ語で「カーゾ・シンドウレンメイ」と呼ばれた。訳せば「臣道連盟事件」である。
 新聞が余りにもセンセーショナルに報道したためであろう、それから60年以上経った今日でも、老齢のブラジル人は「シンドウレンメイ」「トッコウタイ」という単語を覚えている。
 邦人社会、つまりコロニアでも同様であった。 本稿で問題化している認識派史観も、起源を辿れば、この新聞記事から発している。


 治安当局の奇妙な行動

 しかし、オールデン・ポリチカを初めとする治安当局の行動は、奇妙であった。
 まずオールデン・ポリチカは、事件直後、逸早く、これを日本人秘密結社のテロと発表したのである。新聞は、それを当日の夕刊で、記事にしている。
 襲撃者は古谷班の二人が、現場近くで逮捕されているが、十分取り調べをし、裏をとったとは、到底思えぬ早さであった。
 しかも、州保安局傘下の、他の警察組織(警兵、民警)も動き、翌日朝、サンパウロ市内の臣道連盟本部を急襲、理事・職員を拘引・留置している。
 事件の2日後には、州内全域で、臣連地方支部の幹部を、検挙している。ある町では、その時、地元の警察署長が臣連支部長に「臣道連盟はテロリスタであるから逮捕せよという命令が、サンパウロの本部から来ている」と告げた。
 3日後には、シンドウレンメイ、トッコウタイの文字がポ語新聞に出ている。
 しかも、警察は臣道連盟だけでなく、ほかの戦勝派の団体役員、個人の戦勝派も多数、拘引・留置した。
 全検挙数は、千数百人にのぼった。
 地方で検挙した者の一部は、サンパウロ市のオールデン・ポリチカへ移送した。その移送分とサンパウロでの検挙分を合わせて、留置数は400人という数になった。
 拘引・留置された人々の中には、戦勝派でも何でもない人間が多数含まれていた。地方から用事があって、サンパウロに出てきて、日本人街の宿泊所に泊まっていた人、街路を歩いていた人、バールでカフェーを飲んでいた人……が、突如、そこに現れた警官により、ウムを言わさず引っ張られた。
 筆者は、最近(2012年9月)あるお婆さんに会ったが、この人のお父さんは認識派であったにも関らず、拘引・留置されたという。
 ともかく、デタラメで奇妙極まる治安当局の行動であった。(つづく)