ニッケイ新聞 2013年8月9日
地方編
次に、地方で起きた事件に話を移す。(以下も、一部は筆者の『百年の水流』改訂版と、趣旨が重複する)
既述の様に、サンパウロ市以外でも、多数の事件が発生した。
しかし、これらは、確かな資料が見つからない。僅かに存在するそれも、一行一行、目を通すと、唖然としてしまう。
例えば、連続襲撃事件をテロと扱っている一資料の中に、サンパウロ及び地方で起きた殺傷事件の一覧表が掲載されている。その中に自殺ケースがリスト・アップされている。自殺が、どうして、テロや殺傷事件といえるのか?
また、資料類が日本語の場合、内容に混乱が多い。
被害者や加害者の名前が、日本人にはあり得ないもの、同じ人物の名前が読みも文字も資料によって異なるもの……が少なくない。事件発生日などマチマチである。事件の内容も同様である。
さらに、最小限必要なデータすら揃っておらず、この事件は本当にあったのだろうか……と不安になる記述すらある。
資料の作成者が、ポルトガル語の新聞の記事を転用しただけで、自分の足で確認のための調査をしていないことが歴然としている。
ポ語新聞の記事については、筆者は、長年、この国で報道関係の仕事に携わってきた経験から、次の様に思っている。
もともと、事件モノの新聞記事は、記者が短時間の取材で読者の興味を引くように書こうとするため、間違いを犯し易い。特に非日系の記者が、日本人に関する事件を記事にする場合、ブラジル人との違いを知らぬまま書くため、その傾向が強くなる。二、三流の新聞になると、正確な部分の方が少ないというのが実情である。
彼らは、日本人同士の殺傷事件となると、すぐテロと決めつけて記事を作成した……と思われる節がある。
従って、ポ語新聞の記事を転用しただけの資料は、参考にはしても、それを、そのまま引用するのは危険である。
前出の一覧表の中には、
「1946年7月、ノロエステ線ビラッキで戦勝派のマツユキ、ノボル、クラリッセが、州警兵により殺傷された」
という意味の項目がある。(ビラッキは、当時の呼称はニホンランヂア)
筆者は、戦勝・敗戦問題で起きた事件の中には、警官が、戦勝派の過激分子を逮捕に行き射殺したケースがある──と聞いていたから、これは、その一つであろうと思っていた。
ところが、2010年1月、この事件をよく知っている森正秀という人に会い、話を聴くことが出来た。60年前、その事件が起きた店の隣で、バールを営業していたという。取材時点では、サンパウロの市内で生活しており、88歳であった。以下は、その談話である。
「この事件は、戦争の勝敗問題とは関係ない。時期も数年後の1950年頃だった。
私の隣家がマツユキ(苗字)の家だった。息子がノボル、ブラジル人のハシネイラ(掃除婦)がクラリッセ。
呑み屋をやっていて、泥酔した警官に撃たれた。
その警官がタダ呑みばかりするものだから、癇癪を起こして、払わせようとした。が、向こうが銃を乱射し、マツユキだけでなく、ほかの二人も巻添えを食った。
私が野球の試合に行った日のことだ。帰ってきて事件があったことを聞いた」
一覧表の、この項目の記述は、丸きり間違いで、非日系の掃除婦まで戦勝派にしてしまっているのである。(つづく)