ニッケイ新聞 2013年8月30日
8月は県人会の式典続きで、数え切れないほど〃エライ人〃の挨拶を聞いたが、多くはほぼ焼き直しに近いとの印象だった。だが岐阜県人移住100周年式典での岐阜新聞の杉山幹夫社長の挨拶は、珍しく裃を脱いだ、とても心がこもったものだった。事前資料にある杉山社長の挨拶はごく普通の文面だったが、実際に登壇すると紙など見ずに滔々と自らの言葉で語り始めた▼40年前、60周年で知事一行と初来伯した折、社長だけ仕事の都合で一日遅れで当地空港に着いた。「どうやって会まで辿りつくか」と思案していると、20人ほどの青年が手を振っている。「誰かエライ人が来ているのかな」と他人事に思っていたら、自分のほうに寄って来て「県人会からお迎えに参りました」と言われて驚いたという。その一人が山田彦二現県人会長だった▼翌晩こっそり一人で東洋街の日本映画館に入りヤクザ映画を上映しているのを見て、コロニアに強烈な印象を覚えた。「こりゃ根こそぎ取材しなきゃ」と痛感し、トヨタの四駆車一台と記者3人を3カ月に渡って送り込み、大型連載をさせた▼帰ってきた記者から「移民の皆さんは日本の花火を見たがっている」と聞き、20年前にUSP校内で、15年前にも競馬場で花火大会を行なった。「年輩の方が花火に手を合わせて喜んでいる姿をみて心の底から感動した」▼しかし911テロ以降、火薬の国際輸送が厳しくなった。「なんとかもう一度ドカンとやりたい」と締めくくったその挨拶に、これほど移民に共感を覚えている人は珍しいと実感した。無理に花火に拘らずとも、日系社会のためにぜひもう〃一花〃咲かせてほしい。(深)