ニッケイ新聞 2013年7月2日
第二次世界大戦の直後、ブラジルの邦人社会に発生し、約十年続いた諸事件を指す。
では、その諸事件とは何か?
これは、祖国日本の勝敗問題を巡って起きた内紛、襲撃、詐欺などのことで、通説では、次の様になっている。
1945年8月、日本が(負けたのはでなく)勝ったという情報が流れ、邦人の多くがそれを信じた。一方で、少数ながら敗戦を認める人々も居た。
前者は勝ち組、後者は負け組と呼ばれる。
当時、邦人の殆どは、ポルトガル語の新聞やラジオは、読みも聴きもしなかった。ために、突如、日本の降伏が報道され、間接的に耳に入った時は、酷い衝撃を受けた。が、それを受け入れたのは僅かで、大半は激しく拒否した。
東京ラジオも、ポツダム宣言の受諾を報じたが、短波の受信機が少なく、雑音混じりでよく聴こえぬ所が多かった。(短波による外国放送の受信は、禁じられても居た)
聞 くことが出来た人も、それまでの大本営の連戦連勝報とは正反対の内容だったため、混乱したり、敵の謀略と疑ったりした。
そうした中、時を同じくして「日本は、実は、勝ったンだ!」というニュースが流れた。敗戦報を拒否していた人々は、これに飛びつき、信じ、歓喜した。
「邦人の8、9割が勝ちを信じていた。10割近くがそうだった時期もあった」という説すらある。
一方、負けを認めたのは、ポルトガル語を解し、その新聞・ラジオに日頃から馴染んでいた人々である。
その勝ち組、負け組が対立、対立は険悪化、翌1946年3月から、勝ち組が負け組を次々と襲撃するという事件が発生した。これで多数の死傷者が出た。
事件は、約10カ月 間、サンパウロ州内の各地で発生した。死者は、資料により異なり、13人から26人まで数説ある。負傷者も数十人出た。
当時、ポ語新聞は、勝ち組の秘密結社、臣道連盟が、内部に特攻隊というテロ組織をつくり、負け組の口を封ずるため、その中心人物を次々と襲撃、拳銃で殺傷した… …とセンセーショナルに報道した。
邦人社会は勿論、非日系社会も震撼した。「シンドウレンメイ」「トッコウタイ」の二語は、市民の胸に刻みつけられた。
連続襲撃事件の最中、治安当局は臣道連盟の役職員を主に、勝ち組の日本人を大規模に検挙した。何回かに渡って行い、その合計は数千人……という数にのぼった。
襲撃事件は翌47年1月に終わったが、早くから、日本は勝ったという流説に便乗した詐欺が頻発しており、これは1950年代半ばまで続いた。
詐欺は、偽造した戦勝ニュースを謄写版で印刷したビラの販売を始め、幾種類も起きたが、その中には、すでに価値を喪失した円(旧円)を売る者、 日本の皇族を騙って金品から娘まで献上させる不埒な輩まで居た。 いずれも、素朴に祖国の勝ちを信じる人々が被害者となった。
大体、以上であるが、この騒動はブラジル政府、日本政府まで巻き込み、邦人史上空前の不祥事となった。
なお記事 の一部の 要旨は、拙著『百年の水流』改訂版と重複する。