ニッケイ新聞 2013年7月11日
「最後の日系工場の天谷茶を守りたい!」。日系どころか国産唯一といわれる本格紅茶の製茶工場「天谷」=レジストロ所在=が経営の危機に瀕しているのを聞き、日系愛飲者が立ち上がった。戦後長いこと〃お茶の里〃として名を馳せてきたレジストロだが、15年ほど前から為替変動などによって国際競争力を失い、櫛の葉が欠けるように次々に製茶工場が操業停止をし、現在本格営業をしているのは「天谷」だけだという。今月から今里ディズニーさん(52、二世)ら愛飲家が中心になって新しく「天谷茶」銘柄を作り、サンパウロ市東洋街にある日本食材店などで販売を始めた。今里さんは「英国の紅茶に負けない品質。ぜひ試してみて」と呼びかけている。
今年入植百周年を迎える水郷レジストロの経済を支えた紅茶の歴史は古い。岡本寅蔵(1893—1981、県)が1934年に訪日したおり、インドのセイロンに寄ってアッサム茶の苗をこっそり入手した逸話は有名だ。《リプトン会社を訪ねたが、種は一粒たりとも外国へ持ち出しは厳禁されていた。だが、技師の一人が極秘に71粒を渡してくれた。食パンに種を封入してズボンのポケットに同島の土を入れ、船中の洗面器の苗床で発芽させた。この苗をもとにレジストロに茶の大農場を作る》(『日伯交流人名事典』パ紙編、96年、五月書房、64頁)とある。
これがラ米初の本格的なインド種の紅茶生産だった。〃コーヒー王国〃で紅茶を作る試みはそれまでにもあったが、みな失敗に終わっていた。
「天谷」経営者の一人、天谷良吾さん(58、二世)は「父の話では最盛期の80年代には、この近辺には42ものお茶工場があった。でも今はここ一つ」という。初代は天谷捨吉、二代目は平三郎で、良吾さんが三代目だ。3月に取材した時、今も続けている理由を問うと、良吾さんは「紅茶工場は、いったん辞めてしまったら再開するのは大変。いつかいい日が来ること信じて、とにかく今は維持することに心を砕いている」と答えていた。
今里さんの妻の両親がかつて「天谷」で働いていた関係で、今里さんは昔から同紅茶を愛飲していた。ところがこの2月に「天谷」がマテ茶の原料として茶葉を納入していたマテ茶大手マテ・リオン社を、米国のコカ・コーラ社が買収すると発表した。その結果、納入条件が大幅に悪化し、「天谷」は経営危機に直面していた。
「天谷」紅茶はチリなどの外国向けだけで、国内ではマテ・リオン社に原料として納めていただけだった。「天谷茶」銘柄で国内販売するのは、実は今回が初めてだ。
今里さんは「英国のトワイニングなどに引けを取らない品質。問題は紅茶を飲む習慣がブラジルには広まっていないこと。ぜひ、緑茶代わりに紅茶を飲んで欲しい」と呼びかけている。今月から東洋街の日本食材店で発売しており、100グラムと250グラムの2種類がある。