ニッケイ新聞 2013年7月17日
第24代ブラジル大統領のジョアン・グラール(1919—1976)、通称「ジャンゴ」は1976年12月6日、亡命先のアルゼンチンで、57歳で亡くなった。1964年の軍部によるクーデターで大統領を解任されてから12年後のことだった。
しかし、その死の真相は今でもはっきりしていない。心臓麻痺だったと言われているが、何者かの陰謀で毒殺されたという説もある。パウロ・エンリケ・フォンテネリ監督のドキュメンタリー映画「Dossie Jango」(ジャンゴの記録、2012年、102分)は、そんな〃帝国主義の犠牲者〃となった悲劇の元大統領の死の謎に迫っている。
ジャンゴは1961年、副大統領から大統領に昇格し、農地改革や国有化などの左翼的・急進的民族主義路線を強めようとしていた。それに反発したカステロ・ブランコ将軍は、米国の支援を受けてクーデターを起こし、軍事政権を樹立。左派勢力を抑圧しながら市場経済への復帰を目指し、外交的には親米路線をとって外国資本を積極的に導入することで工業化を推進した。
映画の前半は、クーデターまでの経緯を振り返り、後半は元大統領にフォーカスを当て、論争の的となった失踪について描いている。
暗殺説は、亡くなった直後に出始めた。毒殺説の由来は、ジャンゴが心臓の薬を3種類服用していたことだ。薬はフランスから取り寄せていたものだが、CIA(米国中央情報局)、当時軍事政権下にあったブラジル、アルゼンチン両政府が結託して薬を偽造した疑いが持たれている。ただし、証拠はない。
『ジョアン・グラール—完全犯罪』(Joao Goulart:O Crime Perfeito)の著者でジャンゴと親しかったエンリケ・フォッシ・ジーアスは、ジャンゴの妻だったマリア・テレーザ・グラールを、陰謀にかかわったとして告発した。
2006年には、暗殺計画に関わったと告白したウルグァイ人マリオ・バレイロ・ネイラの証言が話題に上った。しかし、「死の真相を調べてほしい」という遺族の依頼を受け止めた連邦検察庁は08年、その証言について「矛盾が多く、信憑性は薄い」と判断を下している。
しかし、これで終わりだろうか—。フォンテネリ監督は問いかける。「暗殺の証拠がないなら、自然死だと証明することもできない。ラテンアメリカの独裁政権時代、権力者は敵を〃消す〃ためには暴力行為も辞さなかったことはこれまでの研究が証明しているし、ジャンゴ死後、遺体解剖を当時の政府が禁じたことも忘れてはいけない点だ」
なお、この映画が影響してか、死の真相を調べるために元大統領の遺体を掘り起こして解剖を行うことが決まった。同じ年に亡くなったブラジリアを建設したジュセリーノ・クビチェッキ元大統の死の真相に関しては、政府の真相究明委員会が進める、1946年から88年にかけての政治犯罪の調査項目に含まれている。(9日付エスタード・デ・サンパウロ紙より)