ニッケイ新聞 2013年7月18日
生々しい体験談と復興の現状が当事者から直接聞ける貴重な機会——ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)が主催する『東北被災者招聘交流事業』により、宮城、福島、岩手の被災3県からそれぞれ、松本康裕(28、名取市)、天野和彦(54、会津若松市)、大和田加代子(52、陸前高田市)の3氏が13日に来伯した。一行は23日午後6時半から宮城県人会(Rua Fagundes, 152, Liberdade)で『東北大震災から2年余、伝えておきたいこと』と題した講演を行うほか、19日から開催される『日本祭』内にブースを設け、震災直後から現在までの様子を記録した写真の展示を行う。
「あの時、津波が来るという認識はまったくなかったんですよ。地震の40分ほど後、偶然自宅の庭に出たら、ジェット機のエンジン音より低いゴーッという音が聴こえ、何だろうと遠くを見たら、真っ黒なガレキの塊が押し寄せてくるのが見え、アッ!と気付いた」
町全体が壊滅的被害を受けた宮城県名取市の自宅にいた松本さんは、津波に気付いた瞬間をそう振り返る。急いで祖父母と共に2階に避難し、「あと10秒遅れたら、死んでいた」。
「1階の天井まで浸水した。2階の窓から外を見ると、むき出しになった、土台以外何も残っていない家屋がたくさん見えた」と被災直後に撮った写真を手に切々と話した。町内会の約370世帯のうち、全壊を免れたのはわずか10世帯あまりだったという。
「当時車に乗っていた妹と母も約1キロも津波に流された末、助かった。被害にあった自分だからこそ話せる体験談を皆さんにお伝え出きれば」と意気込む。現在は市内の復興仮設市場に、家族経営の不動産会社の事務所を再開させ、地域復興に向け奮闘中だ。
一方、今も収まらない原発災害に苦しむ福島県からは、会津若松市出身の天野さんが来伯した。震災後、県内最大規模の避難所として2500人の被災者の拠点となった「ビッグパレットふくしま避難所」の県庁運営支援チームの責任者として、被災者支援に携わった。県教育庁では、社会教育主事として15年間の勤務経験を持つ。
翌12年4月からは福島大学内に設置された「うつくしまふくしま未来支援センター」の特任准教授として、仮設住宅、借り上げ住宅、県外避難の支援の仕組み構築や被災者の生活支援に関する調査研究を行っている。「震災から2年経った現在でも立ち入り禁止区域が設けられ、15万人以上が避難生活を送っている。私が見てきた率直な事実を伝えたい」との目標を語った。
津波被害が最も酷かった海岸部の町、岩手県陸前高田市から参加した大和田さんは、「事実上、町一つが丸々なくなった。避難所になるような建物すらも残らなかった」という。本人も家族経営だった製材所の事務所や自宅も失い、大船渡市のみなし仮設のアパートに住む被災者だ。
津波などの被害に心を痛める仮設住宅の居住者からの「手を動かしていれば気が紛れる」との声を受け、被災者による被災支援ボランティア団体「ちーむ麻の葉」を設立し、代表を務める。被災者による手作りのドレスタオル等の製作・販売のルートの確立を果たしたほか、日帰り温泉ツアーの企画などの支援活動を行っている。
「被災地にはまだまだ先の見えない辛い生活をしている人はたくさんいて、奇麗事では済まされないことばかり。そんな中でも、多くの被災者が立ち上がって、こんな風な新たな動きを始めている、活動しているということを皆さんに知って欲しい」と力を込めた。