ニッケイ新聞 2013年7月25日
ブラジル日本都道府県人会連合会が主催する講演会『東北大震災から2年余、伝えておきたいこと』が23日夜、サンパウロ市の宮城県人会館で行われた。岩手、宮城、福島の3県からそれぞれ招聘された大和田加代子、松本康裕、天野和彦の3氏が壇上に立ち、生々しい被災体験と現在に至るまでの状況を切迫感溢れる様子で講演し、集まった約200人は引き込まれるように聞き入り、あちこちで涙を流しながら頷く姿が見られた。
「家族が行方不明になった人は、町内84カ所の避難所を一つ一つ回って、それでも見つからないと、遺体収容所を探します。そこで何百ものご遺体を見なければならなかった皆さんのお気持ちは、どのようなものであったか…」。大和田さんが目に涙を浮かべながら、そう2年前の様子を振ると会場からはすすり泣く声が聞こえた。
陸前高田市では3千以上の家屋が津波で全壊し、小中学校5校も全半壊、市役所や体育館など主だった建物は何一つ残らなかった。「この日以来、『壊滅的な』という言葉とともに市は語られるようになった」と声を震わせながら説明した。
仮設住宅では現在でも「隣の住人がトイレットペーパーを引く音が聞こえるほど壁が薄い」という環境に、「4人家族で4畳半2間」が住んでいるという多くの住人がストレスを抱える現状だという。
過酷な状況の中でも「手を動かしていれば気が紛れる」という同住民の声からボランティア団体を立ち上げ、被災者による手作りのドレスタオル等の製作・販売のルートを確立すると、主体的に行動する住民が増えた。「被災者を元気にするのは『まだ自分は必要とされている』という誇りだと改めて感じた」と感慨深げに話した。
現在進む高台の開発にも触れ「住めるようになるまでにあと5年はかかると見ている。それが多くの高齢者にとってはどれだけ長い期間か、皆さんもわかるはず」と会場に語りかけた。最後に「日本人として、皆様の誇りとなれるような復興を目指したい。もうしばらく、被災地を心の片隅に置いておいて欲しい」と訴えかけた。
宮城県名取市の閖上について、松本さんが映像で、津波がガレキや土砂を巻き込み、民家を押し流す場面を見せると会場からは驚嘆の声が漏れた。被災者の多くが「もう一度頑張ろう、と皆で励まし合っている」という前向き姿勢であることを強調した。
最後に天野さんは、2年以上経った今も原子力災害が続き、「いまだ復興を語れない、先が見えない状況」であることを繰り返した。特に福島第一原発の周辺地域では、放射線問題を抱えており、「普通の生活が奪われるとともに、今まさに〃ふるさと〃が奪われようとしている人がたくさんいる」と訴えかけた。
震災後に被災者が自殺した例を挙げ、「そういった時に必要になるのは人と人がつながり続けること。人は寂しいと死んでしまう」ということを強調した。「今の福島に必要なのは〃心の復興〃。人の心が弱っていては本当の復興はあり得ない」と熱弁を振るった。
来場者の村松エドワルドさん(16、三世)、エリキさん(14、同)の兄弟は「本当にショック。今でも信じられない。友人たちにもこの事実を伝えていきたい」と感想を語った。講演後、多くの人が3人に駆け寄って話込む姿が見られ、「ぜひ来年も講演会をやってほしい」との感想が方々で聞かれた。