ニッケイ新聞 2013年7月26日
24日、サッカーの南米一を決めるリベルタドーレス杯は、アトレチコ・ミネイロが逆転につぐ逆転で、クラブ創設105年の歴史にして初の栄冠をものにした。
これまで同じミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンテのライバル・クラブ、名門クルゼイロの影にずっと隠れつづけていただけあってチームも長年のファンも喜びを爆発させているが、その歓喜の輪の中にロナウジーニョの姿もあった。
ロナウジーニョと言えば、2002年の日韓ワールドカップで優勝した際の立役者で、04、05年にはスペインの名門バルセロナFCのエースとして、国際サッカー連盟(FIFA)の世界最優秀選手にまで選ばれたスーパースターだが、そんな彼が久々に手にした栄冠が今回のリベルタドーレス杯だった。
優勝後、ロナウジーニョはこれまでためていた鬱憤を晴らすようにこう語った。「みんな僕のことをもう終わった選手のように言っていた。だからブラジルに戻ってきた。でも、ここで僕はまだ手に入れたことのなかったものを手に入れたんだ」。
衰えを囁かれ、2010年のW杯では代表(セレソン)漏れ。その後、帰国し、フラメンゴでプレイしたが金銭問題で退団。ミネイロには兄で代理人のアシス氏がクッカ監督の友人であった縁で契約、入団した。
クッカ監督から「ペンサドール(ご意見番)」をまかされたことを意気に感じたロナウジーニョは、一大発奮。チームはベルナールなどの若手が育ち、ロナウジーニョもプレイのキレを取り戻した。
さらにロナウジーニョは「ミネイロはレネガードス(負け犬)の集団なんかじゃない」とも言い切った。ロナウジーニョは、今大会の得点王に輝いた同僚ジョーについて誇らしく語っている。「ジョーを見てみなよ。彼だってもう終わったと思われていたじゃないか。それが、コンフェデ杯ではセレソンに復帰して得点もして優勝までした」。ジョーも、期待されてイギリスの名門マンチェスター・シティに入団したものの芽が出ず帰国。その後も移籍したインテルナシオナルと対立し退団した経緯がある。
ロナウジーニョは詰め掛けた大観衆に、「僕の人生で最も厳しい局面の時に応援してくれて本当に励みになったよ」と感謝を述べた。病気療養中のロナウジーニョの母親の体調はここ数カ月で悪化していた。
あとは今年12月のクラブワールドカップ、そして、来年にはワールドカップもある。今年のコンフェデ杯のメンバー選考でロナウジーニョはセレソン復帰を有力視されていながら落選した。今回の南米一に続いてクラブ杯で世界一を獲得すれば、34歳でのW杯復帰の可能性も現実味を帯びてくるだろう。(7月25日付エスタード紙サイトなどより)