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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 10=中里オスカル=ジャブチ受賞『NIHONJIN』=中田みちよ=(1)=どこかで疼く「日本人」の血

ニッケイ新聞 2013年7月31日

写真=著者の中里オスカル。ジャブチ賞授賞式にて










 とうとう最後の作品「にほんじん」の登場です。第54回ジャブチ賞(ブラジル書籍協会主催)の受賞作。賞設置から54年目にしてようやく日系三世中里オスカルが受賞したことに意義を感じています。選考委員同士の確執から新聞紙上をにぎわせたりしましたから、ご記憶の方もいるでしょう。いずれにしろ受賞には百年を超えた日本移民の各方面における進出活躍もポジティブに影響しているはずで、日系を代表して受賞したんだと考えたほうがいいのかもしれません。
 作者の中里オスカルはアプカラナの連邦技術大学で言語学を教えています。まだ日本には行ったことはなく、「にほんじん」の作者として一度はいかなければと考えていて、それも単に行くではなく、本質的には日本に「帰る」のだという認識です。父祖の地に還るということです。
 最初は博士号論文「フィクションにみる日系ブラジル人のイメージ」を書いたそうです。あまりの資料の寡少さに驚き、自分で資料を手がけようと日本人移民から聞き取りを始めました。さらにいろいろな日本人にインタビューし、それを種として膨らませ「にほんじん」という作品に仕上げたわけです。
 ストーリーそのものは日系社会の人間なら誰もが知っていることばかりで、それ自体に新味はありません。しかし、いつの間にか登場人物が読者を引きつけてしまいます。日本人男性の代名詞としてイナバタ・ヒデオがあり、頑固一徹でどうにもならないと否定的に首を振りながら、いつの間にか己の父親や周囲の古老移民を重ねてしまう。そういう二、三世も多いはずです。
 戦前の移民がブラジルに根を下ろし、子どもを育てていく過程で、特に息子のひとりはブラジル人としてのアイデンティティを強くもち、父親は日本人を捨てきれずに、いろいろな事件に遭遇します。極めつきは終戦直後の勝ち組、負け組問題。日本精神を遵守する稲畑秀雄は勝ち組になり、息子のハルオはその勝ち組に成敗されるというエピソードが語られます。従来、勝ち負けの話は常に一世側の視点でしたが、ここでは語り手が三世、つまりブラジル人で大変新鮮でした。わが家の息子たちの気持ちを開陳されているような気分になるのです。
 順を追って第1章からはじめると、稲畑秀雄とキミエという若い夫婦が、働き手3名という条件から、知人の息子を構成家族として伴い農業移民としてブラジルにやってきます。船中生活でそれぞれ夢を語らせますが、一攫千金を信じる男たちに、安易な夢に警鐘をならす絵描きの男がいました。
 「そんな、悲観的になるなよ」といった。男は悲観的じゃないよ、とつづけた。これから起こることに驚かないための覚悟なんだ。たとえ、金をもうけるための肥沃な大地があるにしろ、ブラジルは反対側にある。想像できない場所だ。いくら金儲けには最高の場所だといわれても、未知の土地には未知の人間が住んでいる。彼らは暴力的かもしれないし、日本人には無理なノルマを押しつけるかもしれない。後進国であるから病気が蔓延しているかもしれない。病人が出ても医者がいるかどうかもいわなかったし、コーヒー園に順応できないものには帰国する船があるともいわなかったではないか。日本人が虐待されても、それを訴える場所があるなどともいわなかったではないか。(翻訳部分は【ブラジル日系文学】44号から掲載開始の「にほんじん 中田みちよ・古川恵子翻訳」からの抜粋です)(つづく)