ニッケイ新聞 2013年6月12日
児玉と寝る時だけは、コンドームの着用をうるさく言わなかった。その理由を知ったのは、付き合うようになってしばらくしてからだった。彼女と食事をした後、テレーザは錠剤を服用した。
「いつも何を飲んでいるんだ」
「ビタミン剤よ」
児玉はその言葉を疑うことさえしなかった。
トニーニョは自分の寝室に入り、すでに寝息を立てていた。ドイツ系移民の多いサンタカタリーナ州で造られたワインを飲みながら、二人でテレビを見ていた。午前一時を回った頃、「寝ましょう」とテレーザが誘った。
二人ともベッドに入る時には全裸だ。
「アッ、忘れた」
テレーザはTシャツを着ると、そのままキッチンに行き、コップに水を汲んで戻ってきた。部屋の隅に設けられたクローゼットを開け、中から薬の瓶を取り出してきた。瓶の蓋を取り、中から一錠取り出して口に含み、水で胃に流し込んだ。
「子供はもう一人ほしいけど、今は育てられるような状況ではないから…」
その時、錠剤がビタミンなどではないことを知った。テレーザはピルを服用していた。
その晩から、うなされるようになった。ボロ雑巾のようになって眠りこけても、数時間後には目を覚ました。下着もシーツも汗で濡れ、まるで結核患者のような汗のかき方だった。
「医師に診てもらった方がいいよ」
テレーザが診察を受けるように言った。
サンパウロには援護協会という診療所があり、日本に留学経験を持つ医師が、ポルトガル語を十分に話せない一世のために診察、治療にあたっていた。そこで診察を受けたが異常は発見されなかった。
「ブラジルに来て日も浅いので、気候にまだ慣れていないせいでしょう。ストレスによる極度の緊張が原因かもしれません」
医師はそういって栄養剤を処方してくれた。
「日本からきたばかりの人は、ブラジルの生活習慣に溶け込めず、心を病む人もいるので、焦らずに馴染んでいくことを考えてください」
診察を受けてから一週間後だった。もう一度、診察を受けようと児玉は援護協会を訪れた。見覚えのある男がベンチで診察の順番を待っていた。羽田空港を一緒に飛び立った技術移民の及川だった。年齢的には児玉より三歳年上だった。
「どうしました」児玉は俯いたままの及川に声をかけた。
及川は重たそうに首を上げた。「ああ、児玉さんですか」抑揚のない声で答えた。
「これを見てください」
及川は手のひらを児玉の前に開いた。左右の手のひらに異常があるようには見えなかった。
「ここを見てください」
及川は手のひらの皮膚がふやけて剥けた個所を児玉に見せた。
「この治療でここにきたんですか」
重い皮膚病とも思えなかったし、日本から持ってきたオロナイン軟膏でも塗っておけば治る程度だ。
「ブラジルをあまく見てはいけません。これは梅毒の症状です」
及川は梅毒に感染したと思い込んでいた。
日本から父親が急遽やってきて、及川を連れ帰ったのはそれから二週間後のことだった。及川は精神的に追い詰められ心を病んでいた。
児玉も自分は心を病んでいるのではないかと思ってみた。しかし、取材先で不審な目で見られることもないし、ミッシェルでサンバを踊れば、相変わらず人気者だった。
セックスの後、必ずうなされる児玉にテレーザが笑いながら言った。
「いつも小便をしなさいって叫んでいるよ」
「エッ」児玉はテレーザの言っている意味が理解できなかった。「なんて言っているって」聞き返した。
「ミージャ(小便をしなさい)っていつも大声で怒鳴っている。私に小便をさせて喜ぶ趣味でも児玉にはあるの」
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