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〝回帰〟する日系三世=邦画館黄金期描く本出版=岸本アレシャンドレさん=祖父岸本昴一を尊敬

ブラジル日本移民105周年

ニッケイ新聞 2013年6月15日

 ブラジルにおける日本映画の影響と日系コロニアの関係をテーマにした著書『Cinema Japones na Liberdade』(リベルダーデの日本映画、304頁、ポ語)を、今年初めに刊行した岸本アレシャンドレ(42、三世)。サンパウロ大学での修士論文のテーマとして調査を始め、本として完成させるまでに10年を費やした労作だ。調査を始めた2003年を「自分のアイデンティティを再認識し始めた時期」と位置づける。その過程で、第2次大戦下の日本の苦闘を描いた『南米の戦野に孤立して』の著者で、祖父の故岸本昴一(1898—1977、新潟)を強く意識するようになった。日本語は話さず「コロニアの外で育った」と自己認識する彼が、どのように移民史に目を向けるようになったのか。〃回帰〃する三世の一例として話を聞いてみた(敬称略)。

 なぜかに沁みた日本映画

 きっかけは、サンパウロ市東部の公立学校に映画のビデオコレクションを作る企画に携わったこと。そこで知り合った数人の映画監督から東洋街の日本映画専門館によく通ったこと、50〜70年代の伯字紙に著名な映画人が日本映画の批評を書いていたことを知った。「(日本映画が)非日系人にも深い影響を与えていたと知り、興味を持った」。
 昴一の次男イサクの息子としてアレシャンドレはサンパウロ市ビラ・ソニア区に生まれた。幼少期には日本語学校に通い、「祖父母も両親も、常に僕たち子供に日本語を学ばせようとした」。
 その後ドイツ系の私立校に入ってからは日系人との接触がなくなった。「日本語を勉強する必要性を感じなくなった」。漫画も読まず日本の音楽も聴かず、通ったのは青年会ではなく地元のサッカークラブ。日本映画よりアメリカ映画を好む青春時代を過ごした。
 日本的なもの、すなわち自分のルーツに興味を持ち始めたのは、映画漬けだった大学時代以降だ。国内外のあらゆるの映画を観るうちに、自然と日本の映画も目にするようになった。
 「日本の映画を観たときは、他のどの国の映画を観たときよりも心に感じ入るものがあった」と思い出す。「自分が日系人だからこんなに心を打つのか。どうしてだろうと考え込んだ」。ふと、あの日本映画全盛期、映画と日系人はどういう関係にあったのかを調べたいと思い至った。
 「日系人と非日系人の、当時の日本映画に対する見方を融合させて評価することはできないかと思った」。その発想が一冊の本に結晶した。

 「家族の歴史残したい」

 1922年に渡伯した昴一は、サンパウロ州ノロエステ線リンス駅近くの植民地の学校で教師を務め、32年にサンパウロ市で暁星学園を始めた。寄宿生を受け入れて日本語などを教え、苦学生向けに昼間仕事をしながら夜学に通う勤労部も作った。
 太平洋戦争の開戦後、警察の家宅捜索を受け日本語書籍などを没収された。取り調べを受け、一カ月余逮捕獄中生活を強いられた。その時の体験を綴った『南米の戦野に孤立して』は、勝ち負け混乱の最中の47年に出版され、すぐに増刷されるほどの好評を博した。ただし、ブラジルを侮辱し、勝ち組強硬派を煽る内容だとの密告により、再び獄中生活を送ることになった。
 「祖父はとても勇気があって尊敬すべき人。当時の移民が受けた人権侵害を社会に告発しようとした」と評価する。「祖父母の寄宿学校に通った多くの二世が大学に行って、社会で活躍した」。

 祖父は移民への人権侵害を社会に告発した

 祖父が亡くなった時はわずか6歳。共に過ごした記憶はおぼろげだ。「よく書斎にいる人だった。魚の剥製が好きで見せてくれ、僕たちには日本語で話していた。とても優しかった」と回想する。「両親は、僕ら子供が将来一般社会で生きていけるよう、良い教育を施すことを優先した」。
 そのために、結果として日本的なものとは断絶した思春期を過ごすことになった。楽しいことばかりではなく、いじめに近い体験もしたという。「あの頃は、今もそうだけど白人が一番優等な民族だという思想がブラジル社会に流布していた」。日々の学校生活では完全に少数派だと感じ、「自分は醜く生まれてきたと苦しんだ時期もあった」と意を決したように明かす。
 しかし、大学で社会学や人類学を専攻したことで「各民族がアイデンティティを守ることの意義」を知り、「容姿やルーツで苦しむのは意味がない」と気づき、劣等意識から解放された。
 祖父がやってきたことの意味を考えるようになったのも自然な流れだった。「日本語がわからないのは自分の〃欠陥〃。祖父の残した本や雑誌の記事を読みたくても、日本語が読めない。それが研究者としての大きな壁」と繰り返す。
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 祖父の記録を、写真とポ語での説明、縁のある人へのインタビューなどをまとめてデジタル化する作業を家族で行い、次は『南米の戦野〜』や昴一が残した旅行記、インタビューの記事などを一冊の本にまとめ、ポ語で出版するという計画もある。『南米の戦野〜』は2003に年で復刻版が発刊され、当地の真相究明委員会にも一部が参考資料として提出された。「祖父の残した仕事が、日伯双方で再評価されるようになってきた。とても嬉しい」。