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マクロビ普及に生涯賭ける=菊池富美雄さん半世紀以上=「万病は口から」と食正す

ブラジル日本移民105周年

ニッケイ新聞 2013年6月15日

 「万病は口から。最高の薬は食べ物だ」。そう主張するのは、玄米菜食を基本とした健康法「マクロビオティック」(以下、マクロビ)の指導者、菊池富美雄さん。58年前に渡伯、国内外で精力的に講演を行い普及に粉骨砕身してきた。栃木県出身、御年87歳。「どうすれば医者のいらない生活を送れるか。これは生涯自己教育運動だ」。「聖なる医学」と崇めるヒポクラテス医学を根拠に、正しい食や健康法の指導を続ける。65年に設立したマイリポラン市の生涯教育国際センター「ヴィタリシア」は、今やブラジル各州、諸外国に支部を持つ。マクロビ実践者の輪が静かに広がっているようだ。

 サンパウロ市セントロ区のカルロス・ゴメス広場60番地。飾り気のないビル。その1階に、栄養専門学校「サトリ」はある。設立から50余年、何度か場所を移転し同地に落ち着いた。毎日料理教室や講演会が開かれるほか、昼時はレストランとして「生命力を回復する食事」(Comida Vitalisante)を人々に提供し続けている。
 妻信子さんの指導の下、弟子たちが腕によりをかけて作るご飯、汁物に野菜やおかずの盛り合わせが定番のセットメニュー。昼は多くの客で賑わう。
 「食べたいものを食べるのは〃欲望食〃、必要なものを食べるのが〃基本食〃。保存料や着色料、香料なんて添加物はインチキ食品だ」と喝を入れんばかりに語る。
 「本来人間は、自分の体質にあった必要最小の食事量を見極める『体との対話』が出来た。だが、現代人はそれを失ってしまった」。その本能をいかに回復し、医者に頼らず健康な人生を送るか。それが、生涯自己教育運動だという。

 正しい食事は伝統食=身土不二の法則

 「その時、その土地にあるものを食べる日本古来の食べ方が、自然の法則にのっとった食べ方。これを身土不二の法則という」。季節はずれの輸入食品や精製食品、飼育された動物の肉など人工的な食品は食さない。
 多くのミネラルを含む玄米を完全食とみなし、「人間の歯の形と本数から穀類を7割、残りは野菜、肉は必要に応じて最小限度が理想的」と主張する。

 マクロビ=生涯自己教育で健康に

 近年ビタミンやミネラルを含まない白砂糖の害が叫ばれるようになってきたが、同氏は古くから「白砂糖は中毒性のある麻薬。血流悪化、血液の酸性化、免疫力の低下、便秘、やる気の減退、不妊など、色々な病気を引き起こす」と警告を発してきた。
 また「大切なのは塩。脳の働きを良くして免疫力を高める。人間の進化に欠かせない重要な食品だ」とも力説する。
 マクロビ理論には「科学的根拠がない」とする批判も多いが、それでも現代的食事法に疑問を抱く多くの人々を引き付けている。今の食文化が見落としている何かがあるのかもしれない。

 マクロビ普及に南米へ=戦後日本の名誉回復を

 マクロビは、石塚左玄医師が提唱した「食」に、桜沢如一氏が中国「易」の陰陽理論を加えて独自に体系化したもの。海外で初めに火がつき、近年、米国の芸能人が愛好家として雑誌等で紹介されたことで日本国内での人気が高まっている。
 「マクロビ」という名称は、海外普及を視野に入れ、「長寿法」を意味する古代ギリシャ語「マクロビオス」を元に命名された。しかし菊池さんは「内(体内)と外(社会)は一つ」と考え、ポルトガル語では 「ミクロ・マクロビオチコ」という名称を用いている。
 「桜沢先生は、病気しない状態が体の平和。体の平和なくして社会や家庭の平和はないと唱えた」。桜沢氏は反戦活動や世界連邦運動(48年に誕生した世界連邦を目指す非政府組織)で奮闘し、早くから肉食中心の食生活が疾病の多発や環境汚染に繋がると見て警鐘を鳴らしてきた。
 菊池さんも、こうした社会運動を共にした。苦い敗戦体験を回想し、「憲法という背骨を抜かれ、将来も分からない状態の中、どうやって立ち上がるかを必至で考えた。私は、世界から犯罪者として叩かれた日本の名誉を挽回するために戦ってきた」と口元を引き締める。
 当時、桜沢氏が設立した真生活協会(別名「メゾン・イグノラムス」、現在の日本CI協会)の熱心な会員らが、世界平和を目指し海外普及に飛び立った。「私は誰も行っていない所に行く」と威勢よく南米行きを買って出たのが菊池さんだった。
 妻信子さんと共に渡伯したのが1955年。当時は「玄米を手に入れるのも大変だった」。新聞発行やラジオ放送を通し普及に努めたが、「西洋医学の対症療法は病気を治して人を治さず。本当の医学は予防医学」との主張に当時の医学会は激しく反発した。厳しいスタートだった。
 しかし、臆することなく堂々と講演を繰り返し、執筆活動に励むにつれ、反発していた医学会も注目を始め、保健省など政府機関、南米諸国の大学から講演依頼が舞い込むようになった。「やっぱり論より証拠」。その自信が半世紀に及ぶ長い道のりを支えてきた。
 65年、サンパウロ州マイリポラン市に生涯教育センター「ヴィタリシア」を設立。そこから巣立った卒業者が、後にブラジル全州、南米諸国、欧州に支部を作った。また、食事から灸の据え方、自然分娩法まで、人の一生に関わるテーマを網羅したポ語著書は53冊に上る。
 高齢になった今も、講演活動や教育に尽力する毎日だ。現代人の中にいかに〃自然〃を回復するか。「一人でも多く救いたい」。日本人の名誉をかけた戦いは終わらない——。