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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第99回

ニッケイ新聞 2013年6月20日

 追い求める自分にいつか出会えることを祈っています。ブラジルにまできてこのことで言い争うつもりはありませんが、きっとそれは私が思っている朴美子とはまったく違った姿のあなたなのだろうと思います。
 羽田から飛び立つ五日前のことでした。あの晩、白い錠剤を二階から投げつけてきたあなたに、いつもとは違う美子を感じました。酔って怒りとも苛立ちともつかない思いを吐き出すようにしてきたあなたを何度も見てきました。しかし、あの時だけは何かが違っていたように思いました。
 池袋駅の公衆電話から、私たちの共通の友人、P君に電話を入れました。覚えていると思いますが、「広場」編集部で君を紹介してくれた編集者です。彼に事の一部始終を話して、君に大至急連絡するように頼みました。
 すべてを聞かされたのは、羽田空港に向かう直前のことでした。P君は報告すべきかどうか、最後の最後まで迷ったと言っていました。しかし、私は彼に感謝しています。
 P君はすぐに電話を君に入れてくれました。いつまで経っても出なかった。それで彼は君の家にバイクで向かいました。
 玄関のドアは開いたままで、玄関には私の話した通り、錠剤が散乱していたそうです。彼は部屋中を探し、ベッドの上で昏睡状態の君を発見しました。一一九番に通報し、君が病院に搬送され、応急処置が取られたと聞きました。幸いにも発見が早かったために、大事には至らなかった。
 出発前夜、私の家に電話をかけてきましたが、まだ入院している病院からかけていたことを知ったのも、P君からの電話でした。
 君があの晩、私に投げつけた言葉は今でも忘れていません。忘れられません。しかし、私は絶望を共有することはできないし、愛する女性と未来を共に生きていきたい。この気持ちは永遠に変わらないと思います。
 私は「韓国系日本人」という言葉を口にしましたが、君にとってそれがどれほど過酷で屈辱的な言葉なのか、少しはわかっているつもりでいました。しかし、当然のことながら君の思いとは遠くかけ離れたものだったと、今は反省しています。
 ソウルから連れて帰った日韓の混血児が、日本に帰国すると同時に韓国人として差別を受けている現実に、私は言葉を失いました。
「ソウルに連れ帰って」とその子から頼まれました。物乞いに近い生活をソウルでしていた一家です。生活水準から言えば、日本の方がはるかに楽な生活ができます。それでも彼はソウルで暮らしたいと言いました。母親から聞いていた日本とは大違いで、失望したのでしょう。
 そうした引揚者のためにも、ブラジルで白でも黒でもない世界のありようを、私も懸命に探してみます。
 純粋ではなく混濁の中に、純一ではなく混沌の中に、純血ではなく混血に、透明な世界ではなく、褐色の世界にこそ私の求めているものがあるような気がします。そこにこそ希望があるような気がしています。
 サンパウロでしばらくはもがき、歩き、泣き、怒り、笑ってみることにします。今はそれだけしか言えません。
 韓国人でも日本人でもなく、二つの文化を継承することは不可能なのか。新しいアイデンティティを確立するとはどういうことなのか。日系人とともに生きながら、それを考えて見るつもりです。
 覚えているでしょうか。君が大学に入る前の年、大隈講堂で作家の高史明が講演をしました。在日の解放についてこう語っていました。
——今日の在日を生み出した世界のありように一条の光を投げかけた時に、在日は解放されるのではないか。
 君がこれから歩もうとする道はきっと平坦ではないことは、私にも想像がつきます。いつか再会するチャンスがあれば、私は希望を見出している君と会いたいと思っています。私も、ブラジルで見出せたものを君に語りたいと思っています。どうかそれまで元気でいてください。一条の光を見出せるよう心から祈っています。
 サンパウロのトレメ・トレメにて
          児玉正太郎 〉


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