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加古川市発のハリマ化成=長谷川社長も式典に来伯

ニッケイ新聞 2013年6月21日

 「加古川とマリンガの交流を祝いに」—。5月11日にマリンガであった加古川市・マリンガ市40周年記念式典への出席を目的に、ハリマ化成グループ日本本社から長谷川吉弘社長(よしひろ、65)が市慶祝団と共に来伯した。
 1976年にパラナ州に進出したハリマ化成は同州で初の兵庫県企業。加古川市を出発点とする同社のブラジル進出は、初代の長谷川末吉(すえよし)社長時代の両市の姉妹都市提携に遡る。
 末吉社長が加古川商工会議所の会頭を務めていた頃、姉妹都市提携の話が持ち上がった事から加古川市長の親書を携え、73年にマリンガを訪れた。州内の移動中、当時の政策だったエリオッティ松の植林が企業家の目に留まったという。
 当時、ブラジルでは生松脂を精製したロジンを年間3万トン以上消費しながら、その全てを国外からの輸入に頼っている状態だった。「どうして豊富な松から松脂を採取しないのか」。末吉社長のこの思い付きがブラジル初の松脂採取事業、ロジン国産化の開始となった。
 末吉社長が初めて来伯した当時に同行していたのが、現社長の長男吉弘さんだ。父末吉さんと受けた当地での手厚い歓迎を思い出すという。
 70年代アメリカに留学し、アジア人への偏見を感じていたという吉弘さんは「ジャポネース・ガランチードという言葉を理解した。ブラジルでは日本人への敬意が違った」と確信する。
 そう振り返る吉弘さんは、ブラジルでのハリマ化成の成功は日本移民の恩恵にあやかっていると信じている。
 式典で「マリンガと加古川の交流が末永く続きますように。日系社会の皆さんへの感謝の気持ちを表したい」と話した。
 ハリマ・ド・ブラジルは多くの日本企業がインフレで一時撤退した80年代以降も信念を貫き、事業の存続を維持、現在に至る。現在は、年間5千トンのロジン精製、樹脂・化成品事業を手掛けるほか、製紙用薬品事業に乗り出している。(長村裕佳子クリチーバ通信員・6面に既報関連)