福博村25青年会創立80周年記念祭
ニッケイ新聞 2013年6月22日
福博村25青年会は16日午前10時から、スザノ市福博二五青年会会館(現・福博村会会館)で「福博村25青年会創立80周年記念式典」を行った。往時の会員、歴代会長とその家族たち約200人が出席、会館横に仮設された福博村の特産物展示即売会場で村民が作った産物、商品を求めていた。〃特産物店〃では、福博村内にある企業13社のうち12社が展示、即売した。式典では歴代青年会長53人の名が読み上げられ、サンパウロ州内の生存者に記念品が授与された。25青年会は今後、福博村会青年部として存続、活動する。
式典の司会を務めた田辺治喜氏が開会の辞を述べ、上座に村会会長はじめ青年会会長たちが着席した。一分間の黙とうの後、力強くブラジル国歌が歌われ、続いて荘重な「君が代」を斉唱、聖歌のような軽快なスザノ市歌が歌われた。
上野ジョルジ福博村会会長が福博村の歴史を紹介、法的に福博25青年会を解散し、福博村会青年部に名称変更する旨を紹介、出席者の理解を求めた。
続いて仲西セーリオ福博25青年会会長代理の石橋シルビア・ユカリ副会長が「伝統ある25青年会の創立精神を継承して頑張ります」とポルトガル語であいさつした。
福博村会の大浦文雄顧問は「世界の中の福博村」という視点から、25青年会が創立した1933年には社会的に〝集中〟現象が起きていると指摘した。
世界史の中ではドイツでヒットラーが首相に就任、日本とともに国際連盟を脱退して米英中心の国際経済体制からの脱却を目指し、コロニアではモジ・ダス・クルーゼス産業組合が誕生、日本移民渡伯25周年記念祭が行われ、日本病院(現サンタクルス病院)定礎式が行われて記念碑(通称・藤村碑)に笠戸丸移民生存者60人の名が刻まれ、高岡専太郎医学博士と安藤全八が互生会を創立して『家庭と健康』を発行、赤間学院前身のサンパウロ女学院が創立され、東山銀行設立、水野龍と上塚周平に生存者叙勲第1号として勲六等単光旭日章を授与、スポーツでは日本から親善陸上選手団6人を迎えて日ブラジル際陸上競技大会、第1回全伯少年野球大会、互生会主催の第1回少年陸上競技大会が開かれた。
「この激しい歴史の流れの中で25青年会は生まれた」とポルトガル語で説明した。また、福博村は養鶏の村として全伯に知られていたが、現在は井野養鶏場が一社残っているだけである。一方、福博村の産業は多様化し、新しい農業を開発して外に向けて発展しており、その様子を福博物産店から見て欲しい。
汎スザノ文化体育農事協会ACEASの刈谷秀幸会長は「大浦顧問の話を聞き、スザノでは、まだまだ日本文化を伝えていくことができると確信した。スザノ日伯学校では488人の生徒が学んでおり、剣道、テニス、サッカー、水泳などスポーツも盛んである。近く施設を拡張して、漫画図書館、待合室を新設する。ACEASには青年会がないので、25青年会が支えてほしい」と日本語であいさつした。
スザノ市議会議長代理のクラウジオ・アンザイ市議があいさつした後、阿部順二連邦下院議員(元モジ市長)は「福博25青年会の皆さんは日本精神、侍の気持ちを持って会を支えてきた。コロニアの銀行、産業組合は皆崩壊してしまったが、すし、刺し身、すき焼き、といった日本食文化はブラジルに広く根付いており、同時に『辛抱』『我慢』『迷惑をかけない』『もったいない』といった日本精神、美徳はブラジル人にも理解されるようになってきており、日系人は日本人であることの誇りを持つようになってきてる」とあいさつした。
最後にスザノ市の徳澄パウロ市長は「スザノ市の人口の5%が日本人、日系人である。その少ない日本人の中から頂点に立った者として、日本人の顔をしている者として恥ずかしくないような政治をしていきたい」と為政者としての決意を語り祝辞を述べた。
その後、司会の田辺氏が80年間の歴代25青年会会長53人全員の名前を読み上げ、サンパウロ州内在住の生存者37人に記念品を授与した。元青年会会員で現在なお会員として会にとどまっている特別会員5人を表彰したあと、元青年会代表の杉本正さんがお礼の言葉を述べた。
今年96歳を迎えた杉本さんは「福博村25青年会は1933年6月18日の日本移民の日に13人の創立会員によって発足、私は16歳で一番若かった。同年4月28日に親たちの日曜会の例会が開かれ、自分たちが青年会で活動したことを思い出して青年会設立について協議し、異存なしとなり、〈さあ、青年会をつくれ〉という親たちの意向で設立されることになった。創立総会は原田敬太宅で行われた。青年会の名称については、まだ村ができていなかったため福博村青年会とすることができず、日本移民渡伯25周年移民の日を記念して、25青年会と命名された」と福博村25青年会創立と命名のいきさつについて説明した。
杉本正さんを中心に上野ジョルジ村会会長と石橋シルビア青年会副会長が手を添えて、80のろうそくに火がともされたケーキにナイフが入れられた。
スザノ市の森和弘・元副市長の音頭で万歳三唱し、乾杯。田辺司会が福博村の展示特産物を紹介した後、昼食に入り、婦人会の手料理を全員で賞味した。
カラオケ部の歌謡ショーでは、青年会音楽部が大浦文雄作詞、牧野展也作曲の『福博25青年会会歌』が歌われた。