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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(1)=ナショナリズムの熱風

ニッケイ新聞 2013年5月14日

 著書『ブラジル日系社会 百年の水流』(改訂版も)で有名な外山脩氏がこの文章を書いた経緯は、本紙6面に2月26日から4回にわたって連載された「移民百年史出版プロジェクト 唖然、無責任極まる執行部」に書かれた通り。今回はそれを掲載することで、『百年史』に値する内容かどうか、実際に読者に評価を委ねようというもの。「日伯のナショナリズム」と「勝ち負け騒動」の深い関係を、徹底した取材に裏打ちされた、歴史や社会を見通す視野から論じている。(編集部)

 ナショナリズムの生成や発展、定義に関しては諸説があるが、近代に於ける諸国家の構築・運営のための理論的骨組みとなった政治思想である。が、その骨組みは、時と所により姿、形を変えた。
 一説によれば、元々は、17世紀、国内諸勢力の内乱に辟易した英国の社会的雰囲気の中で工夫されたイデオロギーであるという。この場合、法律によって権力を統一、その権力により国内の行政を動かそうとする骨組みから成っていた。
 以後、このイデオロギーは、欧州から世界へ広まって行ったが、その過程で、自国を至上のものとする国粋主義に変じたり、国外に侵攻する帝国主義に化けたり、その帝国主義による支配からの解放を目指す民族自決主義へ転じたり……ともかく一定の定義で捉えられないほど、様々に変貌した。
 不気味なことに、このナショナリズムは、神秘的な力を発揮した。人を惹きつけ、陶酔させ、虜にし──場合によっては命すら賭けて──奔(はし)らせ、燃焼させた。
 ナショナリズムは、18世紀から20世紀にかけて、世界的に大流行した。
 いずれの国でも熱度を高め、熱風を発し、時に発火点に達し炎となり、その炎と炎が絡み合い、互いに相手を焼き尽くそうとした。
 しかしイデオロギーの世界にも、流行り廃りはある。ナショナリズムも、以後、次第に、その勢いを衰えさせつつ今日に至っている……。この、人類史上、最大の影響力を発揮した政治思想は、純粋な愛国心も育てたが、反面、利己的・排他的で偏狭な自国第一主義を生み、弊害も大きくなった。衰えは、そういうマイナス面への興醒(きょうざ)め、飽きによろう。
 20世紀の前半、日本とブラジルは、上記の国際的なナショナリズムの大流行の渦中にあった。
 結果として、1930年代、ブラジルの邦人社会には、一陣ならぬ二陣のナショナリズムの熱風が吹き込んだ。日本とブラジルから、ほぼ同時期に。自然、そこに乱気流が発生した。邦人社会は、それに巻き込まれた。
 これは、第二次世界大戦下及び戦後の日系社会史に連鎖していく。……といっても、邦人社会を構成する総ての人々が、そういう政治思想や世界史の流れを知っていたわけではない。邦人の殆どは、日本の農村から遠く海を渡ってきた移民であった。
 移住前、その郷里の田や畑で、お天道様(てんとさま)を仰ぎつつ、種を蒔き苗を植え、米や野菜を育てたのと同じ気分で、為政者の指導に従順に生きていたに過ぎない。その指導の中にナショナリズムが存在しただけのことである。
 ブラジル向け日本移民は、1908(明41)年4月、神戸を出港した笠戸丸によって、始まった。(以下、全て敬称略。参考資料は末尾に掲載。つづく)

【筆者略歴】
 外山 脩(とやま・おさむ) 
 1941年、静岡県浜松市生。1965年同志社大学法学部政治学科卒。翌年、ブラジルへ転住。邦字紙サンパウロ新聞記者を経て、1982年、同志たちと農業雑誌『アグロ・ナッセンテ』を創刊、編集を担当。1987年以降、フリー・ジャーナリスト。著書=『ブラジル日系社会 百年の水流』(2006年発行。2007年ブラジル日本文化福祉協会よりコロニア文芸賞受賞)。同書ポルトガル語版『Cem anos de aguas corridas』(2009年)。『ブラジル日系社会 百年の水流』改訂版(2012年)。