ブラジル代表(セレソン)がサッカーのワールドカップで初優勝を飾った1958年に主将をつとめたベリーニ(本名イルデラウド・ルイス・ベリーニ)が20日、入院先のサンパウロ市の病院で死去した。享年83。21日付伯字紙が報じている。
1930年にサンパウロ州のイタピラで生まれたベリーニは、1946年、理髪師から転じてサッカー選手となる。1952年にリオの名門ヴァスコ・ダ・ガマに移籍してから脚光をあびはじめ、同チームのセンターバックとして活躍する。
セレソンには1956年に選出され、58年に主将になった。ペレ、ガリンシャ、ザガーロ、ジルマール、ニウトン・サントス、ジャウマ・サントスらの名選手を擁した当時のセレソンは、同年のW杯スウェーデン大会で初優勝を成し遂げた。
その表彰式でベリーニは後につながる恒例の習慣を作った。優勝トロフィーを授与されると、それをそのままスタジアムの観客に見せるように高々と掲げたのだ。「自然な流れだよ。皆が見たがっていたから掲げたまでのことだ」とベリーニは振り返っているが、このポーズは現在に至るまで、各大会優勝チームの主将の慣例となった。
1962年にはヴァスコからサンパウロに移籍し、同年のW杯チリ大会にもレギュラーとして出場。セレソンの2度目の優勝に貢献した。サンパウロで6年プレーした後は68年にアトレチコ・パラナエンセに移籍、69年に現役を引退した。
ここ10年ほどはアルツハイマーで闘病生活を送り、病状が悪化したここ3年は会話もできない状態となっていた。
ベリーニの銅像が飾られているリオのマラカナン・スタジアムでは20日夜、その死を悼み、屋根を黄色と緑色で照らした。ブラジルサッカー連盟も3日間の服喪と、今週末の連盟関係の試合を彼に捧げることを決めた。