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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第82回

ニッケイ新聞 2013年5月25日

 祖父の言った言葉にジョゼは素早く反応した。
「それは日本の俳句とは違うさ」
 ブラジルで流行している俳句とはいったいどんなものなのか。季語を詠み込まなければならない俳句に、四季のない国で季語はどうなっているのだろうか。
「日本の四季を知らなくても、一世から聞いた日本の姿を想像することはできる」ジョゼが言った。
 「イマージェンス・ド・ジャポン」という日系人向けの番組がサンパウロで、日曜日に放映されていた。日本の演歌を二世の歌手が歌ったり、日本の芸能ニュースを流したりしていた。
 ブラジルで雪を見ることはできない。数年に一度アルゼンチン国境近くで一瞬降るくらいだ。アマゾンの日本人移住地で生まれた二世が、情感を込めて歌う「津軽海峡冬景色」には、やはり違和感を児玉も覚えた。
 祖父母や両親の郷愁が、二世や三世に反映しているのかもしれないが、ヨーロッパ移民のように頻繁に母国との往来を許されなかった日系人にとっては、郷愁だけでは括りきれない思いがあるのかもしれない。
 俳句を詠む行為は、日系人の学生がアイデンティティを探し求めているようにも感じられた。
「日本に生まれた日本人と同じように生きようとして、日系人はブラジル人に嫌われた。その歴史を児玉さんは知っていますか」
 ジョゼがマリーナを介して聞いた。
「エッ、何のこと?」
「シンドウレンメイって知っていますか」マリーナが言った。
 戦後の日系社会は「勝ち組」と「負け組」に分かれて激しい対立をみせた。皇国教育を受けてきた移民には、日本が敗れたとは信じられなかった。日本の敗戦は、ブラジルの新聞で大きく報道されたが、ポルトガル語を理解するものは当時少数だった。
 ブラジルも連合国側に立ち、日本に宣戦布告をしていた。そうした事実を知らないで過ごしていた移民も多かった。戦前は発行を認められていた日本語新聞も禁止され、移民は情報源を失っていた。
 敗戦後、日本の勝利を確信する勝ち組の組織が各移住地に生まれた。勝ち組にとっては、日本の勝利を信じて生きることが、祖国に忠実な国民のように感じられた。
 勝ち組の中には、帝国海軍の艦隊がリオデジャネイロに入港するとか、サントス港に接岸したというデマが飛びかい、奥地から出てくる日本人は異様な熱気を帯びていた。
 サンパウロの治安当局は、日系人の指導者たちに沈静化を図るように求めた。指導者たちは敗戦の事実をガリ版刷りのビラにして配布した。それが勝ち組にとっては、祖国に矢を射る行為に思えた。
 勝ち組は負け組にテロ攻撃を加え、この抗争で二十数人の犠牲者が出てしまった。ブラジル人の日系人に対する風当たりが強くなった。
「日本人は日本人であり続けようとした。だから一時期ブラジル人に嫌われた。日本的であることは大切だけど、何代にも亘って日本人であり続けるなんて無理なことだ。アフリカ系ブラジル人、ポルトガル系、ドイツ系、イタリア系といろんなブラジル人がいる。アフリカ系でもヨーロッパ系でもない俺たちのような日系人だからこそ、この国に存在する意義があると思っているんだ」
 ジョゼが言った。

        民族の血

「ウリマル(韓国語)を勉強して早く話せるようになりたいわ」
 「広場」編集部に時々顔を見せる美子は、カシミアのコートを着込み、児玉が贈った韓日辞典を手で持ち歩いていた。しかし、美子が韓国語を勉強している様子はまったくなかったし、辞書を引いているようにも見えなかった。韓日辞典はいつまで経っても新品同様で、在日の仲間に見せびらかしているのか、金素雲の署名が記されたページだけが汚れていた。(つづく)


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