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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(4)

ニッケイ新聞 2013年4月23日

 1962年、モジダスクルーゼス在住の旧制鳥取高等農林専門学校出身の篤農家、瓜生知助も数年の試験栽培を経て、朋友古本から遅れる事10年にしてやっとマッシュルームの発茸に成功した。
 1962年以降は、マッシュルームの栽培熱は急速に加速し、近郊農業の新規作物として大いに脚光を浴びた。当時の栽培者の多くは、折からの養鶏業界の不況により、空いた鶏舎を改造した泥壁の菌舎で、多くは養鶏とキノコ栽培を兼業する家族労働の小規模な日系人が主体だった。反面ヨーロッパ系資本家は最初から、母国のキノコ栽培先進国並みの空調設備を備え、大規模な終年栽培が行われた。
 其の結果、一時は業者間での激しい販売競争が生じたが、リオ、ベロオリゾンテ、サントスその他の大都市にも販路が拡大され、更にはマッシュルームのビン詰加工工場が出来て、工場との契約栽培等も可能となり生産と需要の均衡を維持した。
 1963年、サンパウロ近郊に、3カ所のマッシュルーム加工工場が新設された。時を同じくして、サンパウロ市内カンタレーラの市営小売り市場での委託販売や露天朝市のフェーラでの直売もかなりの売り上げ増となり、マッシュルームは、高級食材から大衆食材へと漸次移行し、食卓に浸透して行った。

《栽培法の変遷》

 標高800mを超すサンパウロ近郊に於ける気温,湿度の日較差は大きいので、キノコを栽培する菌舎の環境の変化を緩和させる事が日常の課題であった。その手始めに半地下様式での栽培が試行された。前述の日伯農事協会試験場も半地下式であり、古本が営む2カ所の菌舎も半地下式であった。
 然し此れ等の半地下式は作業性が頗る悪く、また建設費も嵩むので漸次地上式に変わって行った。屋根や菌舎の外壁は干し草や、断熱材として銀紙を貼った梱包材料の廃棄物等を利用して、直射日光の日よけとした。またレンガ造りの菌舎の壁面には、更に分厚い泥壁を塗るなど伝導熱の遮断策を構じた。菌舎は極力天井を高くし通風を良くし、床は全て土間とするなど身近な創意工夫が施された。
 1960年=古本は半地下栽培からトンネル栽培を試行した。即ちサンロッケ市近郊のソロカバ鉄道の廃線となったトンネル跡に着目し、全長140mの廃坑を利用して、マッシュルームの棚式と露地栽培を試みた。然し坑内での換気不良と天井からの水滴の落下で、菌床が常に過湿状態となる等、新たな問題が浮上し、大掛かりな換気や除湿の設備を要する為中断した。資金的な余裕と共に古本はコンクリートブロックによる地上式菌舎を建設した。
 1972年=台湾系栽培者は台湾から導入したノウハウで、菌舎の壁や屋根瓦の下まで、菌舎の内部全体をビニールで覆い蒸気を充満させ、滅菌と床入れした菌床堆肥の二次醗酵を促進させる方策が導入された。更には連続栽培の為の消毒を兼ねた台湾からの様々なKNOW HOWが実用化され、単位面積当たりの年間収量は飛躍的に向上した。
 菌舎と同時に菌床材料の改良も重要課題であった。即ちブラジルでは稲藁が最も効果的で経済的な菌床材料として使われて来た。然し稲の収穫の殆どが機械化されるようになると、稲藁は米作田に放置されたままなので、其の集積には手間が掛かり、また加圧梱包と云えど、嵩張る稲藁を運ぶ輸送コストも嵩じ次第に減少した。
 山里や休閑地に自生する雑草は成分も性状も解らず、栽培者が個々に試行錯誤を繰り返し、適性を見極める他は無かった。馬糞や厩肥は一般には日曝し、雨曝しで成分の流失もさる事ながら、極力利用すべく務めても量的には少なく、集める手間や経費が予想外に多く行き詰まった。反芻動物の牛糞は使用しなかった。
 次にカッピン アンゴラ(Panium maximum Jacq)と称する低湿地を好む牧草で堆肥造りを試験したが、草が枯れて分解するのに時間を要し、醗酵による発熱も芳しく無かった。前述のサンパウロの生物試験場でも、この牧草は失敗だった。
 その後周辺の山野に自生する様々な草本を試験した結果、カッピンゴルドウーラ(Melinis minutiflora Beauv.)を単体でなく、主原料の稲藁と併用して増量材として用い、堆肥に適度な通気性をもたらし醗酵を促す効果もあり、山野には群落して繁茂するので量的にも入手し易く、稲藁とカッピンゴルドゥーラの混用が菌床材料の主体となった。この牧草の厩肥は種菌培養の培地としも使われた。更に今日ではオーストラリア原産の牧草、ブラッキアリア(Brachiari setegera) が最も良く使われる菌床材料へと移行して行った。
 その後菌床材料には砂糖黍の搾り粕のバカソ80%と、稲藁や各種牧草20%の混合堆肥が主体となり、その他ビール粕、小麦藁、玉蜀黍の茎等も使用された。即ち其の地域で成分的、量的、コスト的、作業性、醗酵生成物が最も良好な菌の繁殖と発茸効果をもたらす菌床材料が、試行錯誤を経て一般化して漸次普及した。(つづく)